復帰っ子 歩み、思い共有 沖縄・奄美・十島・小笠原 オンラインで交流会


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全国の復帰を経験した地域の人たちと意見交換する沖縄の「復帰っ子」や関係者ら=29日、なは市民活動支援センター

 戦後に米統治や日本への施政権返還を経験した、沖縄と鹿児島県の十島村と奄美群島、東京都小笠原村の「復帰っ子」や関係者が集まったオンライン交流会が29日、行われた。4地域から約50人が参加し、復帰を巡る複雑な歩みや課題を共有し、今後も連携することなどを話し合った。

 奄美群島が復帰した1953年生まれの安原てつ子さん(68)は、対日講和条約発効の喜びを本土側と分かち合えなかった、当時の中学生がつづった作文を紹介した。復帰を願う署名には郡民の99・8%が賛同し、施政権返還が実現したことに「平和闘争を貫いた」と意義を語った。沖縄は米統治下に残り「たもとを分かつことになった」と複雑な心境だったことを明かした。

 72年の沖縄復帰の年に生まれた仲間直樹さん(49)は、復帰後も残る米軍基地など「構造的な問題」が残っていると指摘した。大きな問題が生じると、県民集会が開かれることに触れ「(復帰運動で)住民がまとまって声を上げることが培われた」と語った。

 小笠原村の硫黄島は68年の復帰後は自衛隊基地となり、元島民が島に入れるのは年に数回の墓参時などに限られるという。全国硫黄島島民の会3世の会会長の、西村怜馬さん(40)は「墓参の機会を増やしてほしいという声が増えている」と紹介。戦前の写真の保存などを通じて歴史を継承していくとした。

 鹿児島県の十島村は52年に返還されたが、奄美や小笠原、沖縄に適用された振興開発特別措置法の対象にならなかった。開発が進まず人口減少が続く。日高重成さん(86)は「奄美とトカラ列島は一体だとして振興策を提言する必要がある」と訴えた。 (知念征尚)