<書評>『この村で』 暮らしの底流にある沖縄戦


社会
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『この村で』大城貞俊著 インパクト出版会・2200円

 その村は沖縄本島北部の集落がそうであるように、自然に恵まれ、伝統文化も息づく場所である。過疎化が進んでいるようだが、そこに生活する人々は互いに助け合い、日々の生活を営んでいる。村人の生活の底流には、76年前の沖縄戦の経験がある。本書は小兼久村に住む人たちを主に描く、7編が収載されている短編集である。

 「ふるさと」では戦後、村に流れついた女性の生涯が語られる。「ぶながやおばあ」と「樹の精」にたとえて呼ばれるツルおばあは、正吉おじいの死後、ひっそりと暮らしている。ツルおばあは正吉おじいが渡嘉敷島から連れてきた「集団自決」の生き残りだということが判明するのは、彼女が亡くなった後のことである。老婆自身の口から過去は語られないことが、背景に陰惨な体験があっただろうことを想像させる。村にはそんな老婆がいたのだ、という記憶は消えずに残っていくだろう。

 戦争は戦後も人々の生活に影を落としている。戦争による一家離散の物語を昨日のことのように語る老婆がいれば(「プウヌ崎から」)、戦時中に村人とともに山中を逃げ惑った記憶を引きずっている元日本軍の兵士だった男もいる(「タンガマ」)。沖縄戦にまつわる一人一人の物語がある。だが、悲惨な経験にもかかわらず、作中の人物たちは決して悲観的にならないし、絶望にも陥らない。語り継いでいくことで、亡くなった人たちを慰撫しているように見える。

 最後におかれた「この村で」の主人公は、未婚で出産した若い女性。東京から村へ帰ってきた彼女は、仕事を得て、村の人たちと付き合っていくなかで、新しい道を見いだす。作中の言葉を借りれば、「スディル(孵化する)」ということであろう。村には海があり、山がある。3歳の娘を抱える女性を支えるのは、母や祖母であり村人である。死んだ人たちの面影もまた彼女の支柱になっている。

 この村で、生きていこうと決心する主人公の気持ちが標題に込められている。彼女を見守るように描く作者の筆致は実に温かい。

 (崎浜慎・作家)


 おおしろ・さだとし 1949年大宜味村生まれ。元琉球大教授。詩人、作家。高校教師を経て2009年琉大に採用される。主な著書に小説「椎の川」「一九四五年 チムグリサ沖縄」「海の太陽」など。