福田蔵省が財政交渉 日本負担内訳でっち上げ <虚妄の日米交渉-沖縄返還半生記>中


社会
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県内に配備されていたメースB核ミサイルの解体撤去作業。復帰前の県内には最大約1300発の核兵器が貯蔵されていた=1969年12月、嘉手納基地(国吉和夫カメラマン撮影)

 普通、外交交渉の窓口となるのは外務省であり、重大な総合的交渉の場合、経済財政分野にかなりの比重がかかっているとしても、主務官庁の外務省が財務、通産などの関係省庁に連絡し協議しながら進めていくのが一般的な手法である。ところが、沖縄返還交渉に関するかぎり、そうではなかった。

 主役は福田赳夫蔵相であった。福田はポスト佐藤の本命として、佐藤栄作首相が命運を賭けた沖縄返還に決定的に貢献し、首相への道を確固不動にしようと考えた。沖縄返還は多くの財政問題で密約に終始したが、すでにその土壌はでき上がっていたともいえる。

 交渉は外務省をほぼ完全にシャットアウトした形で進められた。福田―ケネディ(財務長官)会談の指示に基づいて始まった柏木―ジューリック交渉(柏木雄介財務官とアンソニー・ジューリック財務省特別補佐官による交渉)で、最初に対立したのが交渉をどのような形で進めていくかという方式の問題であった。

つかみ金

 ベトナム戦争で財政のひっ迫していた米国は、上院の強硬派を納得させるためにも当初、6億ドルもの金額を日本に支払わせようと考えていた。この額は、いまに換算すれば3兆円以上にも達する額で、韓国併合にともなう賠償金ともいえる3億ドルをもはるかに超える額であった。

 これを日本の国会に上程したとしても通過は困難である。結局は3億7500万ドルで落着した。残りの7500万ドルは米軍基地対策費として防衛庁予算の中に隠蔽(いんぺい)された。この3億ドルに米軍用地復元補償とVOA(短波放送中継局「ボイス・オブ・アメリカ」)放送撤去費という日本側肩代わりの密約金が加わって、3億2千万ドルということになった。

 しかし、このような一種の“つかみ金”を国会に提出できなかったので、とってつけたような内訳づくりが行われた。米資産買い取り額1億7500万ドル、あるいは人件費増額分7500万ドルはなんとかつじつまを合わせることができるが、それでもはるかに足りない。そこでついに、米軍核撤去費というでっち上げられたカネが7500万ドルも計上された。私を裁いた1審の裁判において、担当検事までが、いかに割り振るかという文句はもともと内訳金などなかったのだと、3億2千万ドルが決まってから内訳をとってつけたのだというように尋問している。

倍々ゲーム

 

沖縄県祖国復帰協議会主催の「沖縄処分抗議・佐藤内閣打倒5・15県民総決起大会」の横断幕を掲げ、行進する人々=1972年5月15日

 別枠に外されてしまった7500万ドルはどうなったのか。このうちの6500万ドルこそが後年度負担として受け継がれ、それどころか年々肥大していったものであり、沖縄返還にともなう財政問題の中でも、最も注目されねばならない性質のものとなった。日本に駐留する米軍に必要なカネは最大限、日本に肩代わりさせるという沖縄返還にあたっての米側方針は“安保ただ乗り論”に便乗する形で増大の一途をたどる。その増え方は主権国家のあり様を問われかねないほどのスピードぶりであった。

 沖縄返還の“申し子”ともいえる思いやり予算は米側からの強い要請を受けながら倍々ゲームのように増え続けていった。そして合意された内容の詳細は協定ないしは交渉に関する記録のいずれにも、ほとんど含まれていなかった完全な裏取引である。

 福田は衆院予算委員会でなんと答えたのか。「…かりに裏取引があって、それが双方を義務づけている、とすればこれは大変なことであります。今日の民主主義の国家社会においてそのようなことがあったのならまさに大変なのです。そのようなことはないのだということをるる申し上げているとおりであります」と平然たる口調で語った。これが当の裏取引の当事者の答弁である。
 (元毎日新聞記者)


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