度重なる米軍機騒音の「違法」判決にも関わらず改善しない政府の不作為に、「静かな空」の実現を求めて闘ってきた二つの爆音訴訟の原告が立ち上がった。戦後77年、沖縄の日本復帰から50年がたつ中、「次の世代に騒音被害を引き継ぎたくない」(原告団の新垣清涼共同代表)と原告らの意思は固い。
「沖縄の不条理を放置するわけにはいかない」。提訴前に那覇地裁近くの公園で行われた原告団らによる集会で、原告団の新川秀清共同代表は怒りの声を上げた。
冷たい雨が打ち付ける中、参加者らは片手でかさを差し、もう片方の手で横断幕を握りしめ、行政訴訟という新たなアプローチでの事態打開に期待を寄せた。
今回の提訴は「世界で最も危険」と言われる米軍普天間飛行場と、「極東最大規模」の嘉手納飛行場の周辺住民計30人。米軍機騒音で、基地をまたいだ原告団による訴訟は全国初となる。
新川氏は「米軍によって土地を強奪され基地が造られた沖縄の歴史、基地の運用の問題には共通点がある」と2訴訟の原告が連携する意義を強調。弁護団の高木吉朗弁護士は「争点をより明確に浮き彫りにし、運動的にも大きな大きな力になる」と期待を寄せた。
飛行差し止めを求めた嘉手納爆音訴訟が1982年に初提訴され、今年で40年が経過した。
この間、嘉手納、普天間の両爆音訴訟で計5回の判決が確定し、いずれも爆音の違法性が認定された。しかし、国は具体的な改善を行わず、近年はむしろ、外来機の増加で「爆音は激化している」(新川氏)状況だ。
加藤裕弁護士は「基地周辺の人々の人権が侵害され続けているのに、国が賠償金を払えば許されるのは、日本の本来の民主主義や人権のシステムとは違うのではないか」と疑問視した。新垣共同代表は「安全な沖縄であってほしい。爆音を止めるまで頑張る」と決意を新たにした。 (知念征尚)