点字で徳之島の戦争伝える 北郷博光さん(84)が体験記 10.10空襲の教科書未記載にも憤り


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約1年半かけて点字で執筆した「徳之島 戦争体験記」を前にする北郷博光さん(本人提供)

 「戦争がこれほどまでに大々的で恐ろしいものだとは知らなかった」。太平洋戦争中の1944年当時、6歳だった鹿児島県徳之島出身の北郷博光さん(84)=東京都台東区=が、点字で打った著書「徳之島 戦争体験記」に記した一文だ。約30年前に厚生労働省の指定難病・網膜色素変性症で視力を失った。家族の勧めで74歳から点字を習い始め、自分史や和歌集などを精力的に執筆した。このほど完成した体験記は、約1年半かけて書き上げた。B5サイズの点字原稿で約400枚に達する。

 徳之島は戦時中、特攻作戦のための前線基地的な機能を持ち、度重なる空襲などで大きな被害を受けた。戦時中の様子や自身の経験をつづった原稿が完成した直後、2023年度から高校生が使用する教科書「日本史探究」に、1944年10月10日、米軍が徳之島を含む沖縄周辺離島と沖縄本島に爆弾や焼夷(しょうい)弾を投下した10・10空襲の記載がないことを知った。

 徳之島は10・10空襲で主に飛行場が銃爆撃を受け、同じ集落の人が2人亡くなったという。当時は幼く、空襲のことは後に周りの大人から聞いて知り、恐ろしさを感じた。「二度と戦争をしないためにも、多くの人に戦争の実態を知ってもらうことが大切だ。だからこそ教科書から真実を削除することはあってはならない」と力強く語る。

 高校まで徳之島で過ごし、当時東京に本社があった教材や教具の販売会社に就職した。岡山支社長を務めていた67年には網膜剥離で右目の視力を失ったが「片目が見えるなら問題ない」と懸命に働き続けた。だが79年に会社が倒産。1男2女を育てながら妻と教材販売の会社を立ち上げた。事業が軌道に乗り始めたころ、突如左目が見えにくくなった。1年半ほどで完全に視力を失った。

 会社は廃業し、妻と高校を卒業した長女が働きに出た。家族への感謝や申し訳なさを抱え、家に閉じこもりがちになった。そんな父を見かねた長女が、点字の習得を勧めた。以来、週2回、計4時間こつこつと点字を学んだ。「読み書きができると自分から世界にアプローチできる」と点字の楽しさにのめりこんだ。

 執筆を支える朗読や墨訳などのボランティアの多くは東京出身で、徳之島の戦争について知らなかったという。「戦争は起こってからでは遅い。起こる前に、戦争とはどんなものだったのか、その実態を伝えていくべきだ」と訴える。

 体験記は、徳之島の図書館などに寄贈する予定だ。「本や朗読CDなどで、社会福祉や子どもたちへの教育に役立ててもらえるとうれしい」と話した。
 (嶋岡すみれ)