島の沖縄戦、生徒らが学ぶ 渡嘉敷小5、6年生が平和学習


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 【渡嘉敷】渡嘉敷小中学校(大城正篤校長)の小学校5・6年生(14人)が5月26日、地元の平和ガイド米田英明さん(73)を講師に招いて平和学習を開いた。戦争の恐ろしさや悲惨さ、命や平和の尊さなどを学んだ。講師を迎えての平和学習は3年ぶり。

慰霊碑の前で恒久平和を誓った渡嘉敷小学校5・6年生ら=5月26日、渡嘉敷村の白玉之塔

 始めに体育館で渡嘉敷島の沖縄戦について講話が行われた。米田さんは、太平洋戦争末期の1945年3月26日に慶良間諸島に上陸した米軍と、日本軍との間で地上戦が起きて沖縄戦が始まったことを説明した。27日には渡嘉敷島に米軍が上陸。日本軍部隊長は避難壕に隠れていた住民を北山(にしやま)に集めて「全住民は1人たりとも捕虜になってはいけない。軍民一体となり、火の玉となって最後の1兵まで戦って玉砕する」と命令したことを伝えた。

 避難場所を失い追いつめられた住民は3月28日、日本軍から配られた手榴弾(しゅりゅうだん)を使い、家族や隣近所の人たちが集団で自ら命を絶った。かまやクワ、カミソリなども使われ、首を絞めるなどして殺し合った。

 米田さんは「年寄り、子ども、男、女も、何も知らない小さな赤ちゃんまでも死んだ。1人生き残って苦しむよりはと、愛する者を家族の手で殺さなければならなかった。「集団自決」(強制集団死)は、この世のものとは思えないほど恐ろしく残酷で、悲惨な出来事だった」と、語気を強めながら当時の様子を話した。

 講話後は白玉之塔を見学し、み霊に黙とうをささげて恒久平和を誓った。閉講式で尾崎華南さん(6年)は「戦争を起こさないように平和を築いていきます」と誓いの言葉を述べた。嶋岡大和さん(同)は「ソテツなどを食べ、苦しい思いで生き延びたことを知った」と振り返った。村島心月さん(5年)は「こんな小さな島で330人が自決して怖い。戦争は二度と起こしてはいけない」とそれぞれ感想を話した。