<書評>『句集 島中の修羅』 沖縄の混沌 1行に結晶


社会
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『句集 島中の修羅』平敷武蕉著 コールサック社・1650円

 平敷武蕉の第1句集『島中の修羅』が出た。句文集『風の黙秘』に続く出版。天荒俳句会に所属していた30年余の作品から580句を選んだとある。

 文芸評論家としての平敷氏には5冊の著書がある。特に、季語の絶対化に異を唱える野ざらし延男への共感を根底にした、先鋭な俳句論を多く展開してきた。初の評論集『文学批評は成り立つか』は「第三回銀河系俳句大賞」を受賞し、西川徹郎によってこう評価された。「〈沖縄〉の危機を俳句形式を契機として相対化し、(中略)以て自らの生存の根拠を問う」文学批評であると。文学と俳句が何かを示す一つの答えがある。句集の発刊は平敷氏にとって、実作を問う試みでもあった。

 「論理的散文では表し得なかった沖縄の混沌が俳句という1行の詩に結晶している」という帯文は句集の解説を書く鈴木光影の言葉。平敷武蕉の論理性から零(こぼ)れ出してくる言の葉が俳句になった。抒情(じょじょう)というには強靭(きょうじん)な、定型を破り、季語にこだわらない、俳句の世界が広がる。

 表題は〈島中の修羅浴びて降る蝉しぐれ〉の句から。歴史的に現実に、沖縄にふりかかる理不尽が修羅である。〈夕明り銃身のごと埋めた憤怒〉〈蒼天の叫(おら)び鎮めて荒草の壕〉「叫び」は「おらび」とルビが振られる。哭き叫ぶのである。怒りは時にシニカルに、屈折して表れる。愛情も悲しみも詠(うた)われる。

 6章のうち、最も多くの句を収めた最終章「儒艮(ザン)の声」ではほぼ半数が無季句。一句一句は独立しながら、しかもたたみ掛けるようにこの現実の不条理を詠う。急迫する長編詩のようだ。沖縄戦、辺野古、コロナ禍等々。〈子が十人引きずり生きた文盲の母〉苛烈な沖縄戦を作者は母親の胎内で潜(くぐ)り抜けた。〈ねえさん僕はバンドマンを辞めました〉不思議な、断念の句。〈海に杭儒艮(ザン)の声降る銀河降る〉〈真昼間(マフツクヮ)の悪意が刺さる座り込み〉〈過激な夢を閉じるように坂下る〉〈すみれ一つ愛せずにいて銀河詠う〉。あとがきで、選句に尽力した夫人に「アリガト」と書く。いかにも含羞(がんしゅう)の人である。

(山城発子・非常勤教員)


 へしき・ぶしょう 1945年うるま市(旧具志川市)生まれ。文芸誌「南溟」編集責任者。著書に「沖縄からの文学批評」「風の黙秘」など。