<書評>『平敷屋朝敏を聴く』王府に処刑された文学者


社会
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『平敷屋朝敏を聴く』西銘郁和著 榕樹書林・4950円

 1984年、玉城朝薫没後250年の行事が盛大に行われるのに没後同年の平敷屋朝敏に日が当たらないことが西銘の詩人魂に逆に火をつけた。以来、38年、朝敏を追い続けてきた。この本はその集大成である。

 今や組踊ブーム。伝統組踊から創作組踊と盛んなご時世。朝敏の『手水の縁』も折々演じられる。しかし他の4編の擬古文調歌物語はあまり知られていない。この本に、全作品の解釈と歌の意訳、分析や評価が縦横にあり学べる。磔刑(たっけい)された不幸な文学者平敷屋朝敏の全体像に迫る姿勢に気迫、熱情を感じた。

 首里王府=国家権力によって34歳で処刑された近世の和文学者、歌人。恋愛の自由を謳(うた)い、ミステリーに包まれた朝敏の生涯は興味深い。薩摩在番所へ落書した、いわゆる平敷屋・友寄事件で安謝の湊で磔刑されたが、その経緯や落書の内容は判然としないし、処刑された者が15人いたが、名前は5人しか明らかになっていない。近世琉球の歴史的大事件なのに王府の史書に記載がない。勝連平敷屋へ幽閉された詳細な理由、作品成立の順番も判然としない。

 西銘は作品を綿密に読み、家譜や資料や歴史的事象を調べ、場所をたずね、関係行事に参加し、朝敏を追い求めた。ほとんど渉猟し、朝敏の魂と時を超えて交響する。そこで聴き、読み取った物を書き継いできた。他が書いた物に納得いかなければ容赦なく批判を投げる。池宮正治や大城立裕、敬意する玉栄清良へも。熱情あふれるゆえだ。

 朝敏が「専ら芸術を好めば、国俗に損あり、戯談は小人の好む所」と断じた権力者蔡温に反発し、にらまれていたことを、西銘は作品から見つけ出す。『萬歳』を書いてにらまれ、『苔の下』で自分がいつか蔡温(王府)によって消される予感を抱いていたとの解釈にブラボー!だ。

 『手水の縁』での柄杓(ひしゃく)の扱い、『執心鐘入』の中城若松の年齢、相手の女が遊女だったとの推測、小僧が最後に驚いて跳び上がる意味、各組踊に使用される歌とその回数など、西銘ならではの捉え方もあって面白い。

(松原敏夫・「詩誌アブ」主宰)


 にしめ・いくかず 1952年与那城村(現うるま市)生まれ、貧家記研究会副会長。野村流音楽協会三線師範。著書に「西銘郁和詩集」「詩集・時の岸辺に」など。