―映画が完成して今の心境は。
「かつて出演した映画『ひめゆりの塔』を思い出して、映画の後半はずっと泣いた。見ているのがつらく、いろいろと思うことが多かった。島守の塔は(当時の沖縄県知事・島田叡と沖縄県警察部長・荒井退造の)2人が眠っているわけではないけれど、実際に赴いて胸がいっぱいになった」
―戦争を知る立場から作品に出演した動機は。
「戦争で日本もたくさんの人、沖縄も4人に1人が亡くなった。ウクライナで今、同じことが繰り返されている。何十年たっても、なぜ人間は変わらないのかとしみじみ思う。そうした意味で、ひめゆり学徒の戦争体験者の人とも親しく交流があり、この映画の役は、私がやらなくてはと思った」
―今の世代と価値観の違いを感じることは。
「戦争の苦しみや恐ろしさは忘れてはいけないこと。何かの形で伝えていかなくてはと、いつも思う。今もひめゆり学徒隊の話をしてほしいと学校の先生から熱心な依頼がある。自分でできることで、戦争は駄目だということを伝えている」
―映画の果たす役割をどう考えているか。
「戦争を知らない人たちへ、戦争がどういうものか知る機会になってくれればと思う」
―映画ひめゆりの塔と重なるところは。
「陸軍病院のガマで女学生が兵隊の世話をしているシーンは、ひめゆりの塔の時にもあったと、大変だったなと思い出した」
―沖縄を舞台にした映画を通してどんな感情が湧き起こったか。
「戦争が終わり、沖縄はあれだけの思いをしてきた。一応は平和になっても沖縄には基地の問題もあって大変だと思う。基地はいらないと思うけど、駄目なんですかね」
―ひめゆり学徒隊に関する著書がある。
「復帰20年の時に本を書いてほしいと言われ、本のテーマはこれしかないと決めていた。ひめゆりの戦争体験者の人たちとも相談して書いた。戦争中だけでなく、どう生きてきたのか、やはり知らせなくてはいけないと思った」