【識者談話】住民犠牲の動かぬ証拠 松代壕と32軍壕 沖国大名誉教授・石原昌家氏


社会
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 沖縄県民が松代大本営地下壕(松代壕)を知らないことはごく当たり前だと思う。1970年代から沖縄戦体験者に聞き取りを始めた私自身も、松代壕を知ったのはかなり後で実際に行ったのは10年余り前になる。

 何が沖縄戦を引き起こしたか。沖縄戦を止められたかもしれないと思うのは、1945年2月14日、近衛文麿元首相が昭和天皇に具申した上奏文だ。「敗戦は遺憾ながらもはや必至―」と「国体護持」の立場から、早期に和平を探るべきだと進言した。天皇は「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」と応じず、翌3月に沖縄戦に突入した。上奏文を天皇が受け入れていたら東京大空襲も沖縄戦も長崎や広島の原爆もなかっただろう。

 沖縄戦は国体を守るための戦いだった。松代壕を完成させるために日本軍は「出血持久作戦」をとった。その結果、非戦闘員の住民に多くの犠牲がうまれた。県民には戦争の傷が残り、戦争をしてはならないと肌で感じている。悲惨な地上戦の体験者がいなくなり、語り継ぐ人がいなくなる。記録や写真を含め、モノがあるから地上戦の実相を伝えられる。松代壕と第32軍司令部壕は、国体を守るため、住民に間接的に大虐殺を強いた動かぬ証拠の現場だ。沖縄戦の被害の実態と結びつけるような捉え方をしてこそ保存・公開の意味がある。

 現在、多くの人がウクライナで地上戦の激しさを報道で目の当たりにしている。77年前に沖縄でも地上戦が起きた。二つの壕の保存・活用は戦争を起こさせない生きた資料と位置付けるべきだろう。

(社会学・平和学)