【識者談話】失敗を直視するモニュメント 松代壕と32軍壕 明治大教授・山田朗氏


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 長野市に残る松代大本営地下壕(松代壕)は、戦争という異常事態の中で造られた異常で巨大な構築物。その異常な物が実際に造られたという動かぬ証拠だ。那覇市の第32軍司令部壕(32軍壕)は、沖縄戦を指揮した場所。まさに使用された戦争遺跡で、その重みはすごい。

 1944年12月にフィリピン・レイテ島での決戦が失敗に終わると、大本営陸軍部は本土決戦へと急激にシフトする。沖縄は米軍に大きな打撃を与えつつ、時間を稼ぐという位置付けとなった。44年7月のサイパン島陥落以降は、日本にとっては戦争の負けが決まった後の戦いだった。松代壕も32軍壕も負けが決まった後の構築物。44年夏の時点で戦争を止める判断ができていれば沖縄戦はなかったし、東京大空襲も原爆投下もなかった。二つの壕は戦争が生んでしまった壮大な無駄、壮大な人的・物的破壊の象徴と言える。

 戦後77年がたち、家族や知り合いから戦争体験を聞く機会はほとんどなくなっている。戦後の憲法を支えてきた、戦争はこりごり―という意識が薄れていく中、戦争遺跡は非常に重要だ。遺跡を見ることで、この土地に戦争が刻まれていると感じられ、戦争が自分にもつながっていると気付くことができる。

 戦争の歴史の中には惰性で物事を進めたり、問題を先送りしたりといった人間の愚かさが現れる。そうした失敗を直視しないと歴史の本当の姿は見えてこない。二つの壕はそうした失敗事例のモニュメントという点で共通している。両方を一体の物として捉え、保存・活用していくことが大切だ。

(日本近現代史)