元米運輸長官のノーマン・ミネタ氏が5月3日に死去し、6月11日に首都ワシントンの教会で告別式が行われた。出席したペロシ下院議長は「先駆的な指導者であり、伝説的な政治家だった」と功績をたたえた。
ミネタ氏は、第2次大戦中に「敵性外国人」として両親と共にワイオミング州の強制収容所に連行された。1975年から20年間の民主党下院議員時代、日系人に対する謝罪と補償を政府に求め続け、88年の自由法成立に尽力した。
告別式には日系3世のマーク・タカノ連邦下院議員や、日本の冨田浩司駐米大使ら多数が参列したと報じられた。
「北米報知紙」の記事によると、ミネタ氏はカリフォルニア州サンノゼ市に生まれた。幼少の頃の思い出として、アメリカ人のつもりで育ったのに「ジャップ」「敵」と呼ばれたことがあるという。
2001年の米同時多発テロの発生時、運輸長官だったミネタ氏は「アメリカの全機を今すぐ着陸させよ」と命じた。後になってその判断は正しかったと高く評価された。
未来を担う若い世代にボランティア活動への積極的な参加を伝えていた。「これから長いキャリアが待ち受けている若者にこそ、ぜひボランティア活動をしてほしい。今後の人生を左右する大きな決断を迫られたとき、その経験が役に立つはずです」と語っていたという。
(当銘貞夫ロサンゼルス通信員)