「捨て石」にされた沖縄戦、米軍の圧政に苦しんだ復帰前、米軍基地の県外移設がかなわぬ昨今―。沖縄は時の為政者と対峙(たいじ)しながらも、デモや選挙、県民投票などで声を上げてきた。安倍晋三元首相が凶弾に倒れたことを受け、沖縄の歴史を知る人々は非暴力の抵抗をあらためて強調すると同時に、民主主義の行く末を懸念した。
沖縄戦に動員された県内全ての旧制師範学校・中等学校の元学徒らでつくる「元全学徒の会」幹事の宮城政三郎さん(94)は「戦後の民主主義の社会でこういうことがあってはいけない」と力を込めた。宮城さんは台湾で学徒兵として動員され、多くの学友を亡くした。「戦の体験で命の大切さを身にしみて感じた。簡単に殺したり暴力を振るったりしてはいけない」と訴えた。
沖縄戦研究者の川満彰さん(62)は「非常に危機感を感じる。日本がここまで落ちてしまったとは」と厳しい表情を見せた。1932年の五・一五事件で立憲政治の確立に尽力した首相の犬養毅氏が海軍の青年将校らに暗殺された。軍部への統制が効かなくなり、戦争に突き進む一つの契機となったことを挙げ、「戦前の流れと似てきている」と指摘した。
農民の土地が強制的に接収された米統治下に、伊江島の阿波根昌鴻さんは非暴力の反戦平和活動を展開した。阿波根さんの遺志を継ぐ、わびあいの里の謝花悦子理事長(83)は「思想・信条が違っても殺すということは許されない。怒りと悲しみで言葉が出ない」と話した。
米統治下で圧政と闘った瀬長亀次郎さんに関する資料を展示する「不屈館」館長で、瀬長さんの次女内村千尋さん(77)は「いかなる理由があってもテロ行為はあってはならないと、亀次郎はいつも言っていた」と振り返った。「窮屈な世の中になるのが怖い。これ以上変なことが起きないでほしい」と述べ、民主主義の発展を願った。
「辺野古」県民投票の会元代表の元山仁士郎さん(30)は、辺野古新基地建設を阻止するための県民投票呼び掛けや、ハンガーストライキに取り組むなど、辺野古移設を強行する政権の姿勢を批判してきた。
「暴力に頼らず、政治的な要求を訴えてきたと思っている。こういう手段で変えようとするのはやってはいけない」と訴えた。
(稲福政俊、中村万里子、知念征尚、中村優希)