安倍元首相と沖縄の関わり 辺野古新基地巡り県と対立 振興、大型プロジェクト実現


社会
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仲井真知事から普天間飛行場の5年以内の運用停止などの要望書を受け取る安倍首相(右)=2013年12月17日、首相官邸

 8日に街頭演説中に銃撃されて死去した安倍晋三元首相は、第1次政権と第2次政権発足以降を合わせ、約8年8カ月にわたり沖縄政策を担った。

 保守派の政治家として日米同盟の強化を掲げ、米軍普天間飛行場の返還・移設問題を巡って名護市辺野古への新基地建設を推進。移設に伴う辺野古埋め立てを承認した仲井真弘多知事に沖縄関係予算の3千億円台確保を約束した一方、新基地建設に反対する翁長雄志知事、玉城デニー知事の誕生後は基地問題を巡り県政と対立した。  

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 第2次政権では、懐刀であった官房長官の菅義偉氏に沖縄基地負担軽減担当相を兼務させ、官邸主導で沖縄政策を取り仕切る体制をつくった。  2013年3月に新基地建設に向けた公有水面埋め立て申請書を県に提出。同年12月に当時の仲井真知事との会談で、21年度までの沖縄関係予算の3千億円台の確保、「5年以内の普天間飛行場運用停止」で合意した。

 仲井真氏が埋め立て申請を承認すると、安倍氏は「知事の英断をしっかりと受け止め、安倍政権として重い基地負担を背負う沖縄の気持ちに寄り添い、できることは全て実施していく考えだ」と表明。予算確保と基地建設が事実上の「交換条件」とされた。

 在任期間中、安倍氏は「沖縄の心に寄り添う」と強調してきた一方で、翁長前知事や玉城デニー知事との会談の機会は極端に少なくなった。15年10月以降、県との法廷闘争にも発展した。  安倍氏は1972年の沖縄返還を進めた佐藤栄作首相が大叔父に当たる。基地建設を推進する一方、那覇空港第2滑走路増設や、米軍北部訓練場の一部返還など、さまざまな大型プロジェクトも実現した。

 2013年4月28日には、1952年の対日講和条約発効で日本が独立した日を記念するとして「主権回復の日」式典を開催し、安倍氏は「わが国の完全な主権回復」と強調した。自民党関係者は「沖縄への思い入れは強かった」と語る一方、条約によって沖縄は日本の主権が切り離され米統治下に置かれたこともあり、安倍氏の歴史観に県内で批判も高まった。

 首相退任後も、直近では今年4月に来県し、那覇市で開かれた自民党県連第4区支部のセミナーに出席。安倍氏はツイッターに「沖縄からわずか100キロしか離れていない台湾の情勢や尖閣を含む地域の安全保障について、そして沖縄の未来についてお話しいたしました」と投稿していた。

 今月下旬にも来県し、「沖縄の可能性」と題して講演する予定だった。

 (池田哲平)