安倍晋三首相が28日、辞意を表明した。2012年12月に第2次安倍政権が発足してからの連続在職日数が今年8月24日で2799日となり、大叔父の佐藤栄作を抜いて歴代単独1位になったばかりだった。 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡っては、「県民に寄り添う」「全力を尽くす」という言葉を繰り返してきた。第2次安倍政権以降の8年間、「沖縄」と向き合ってきたのか。折々の発言を並べてみた。
■2012年~仲井真弘多知事時代
2012年10月、沖縄に米軍の新型輸送機オスプレイが配備された。10万人が参加し配備計画へ抗議の声を上げた「県民大会」から1カ月後の強行配備だった。年が明けた1月には県内41市町村の首長らが、安倍首相へオスプレイの配備撤回と普天間飛行場の県内移設断念などを求める「建白書」を提出した。
「私も思うところがある。(沖縄の)意見に耳を傾けながら、基地負担軽減を含め、頑張っていきたい」
(2013年1月28日、「建白書」を受け取った際に)
2013年2月2日、安倍首相は2度目の首相就任後初めて沖縄を訪れ、仲井真弘多知事と会談に臨んだ。その10カ月後の12月に行われた会談では、仲井真知事は普天間飛行場の5年以内の運用停止を安倍首相に要請した。
「普天間基地の固定化は絶対あってはならない。(日米)首脳会談において今後どう対応していくか話をしたい。(普天間飛行場の移設については)米国との合意の中で進めていきたい」
(2013年2月2日、仲井真知事との会談で)
2013年12月25日、仲井真知事と安倍首相が首相官邸で会談。仲井真知事は、普天間飛行場の移設に必要な名護市辺野古の埋め立てについて承認する意向を固め、2日後に正式表明した。
「沖縄振興と基地負担の両面にわたって沖縄の方々の気持ちに寄り添う。知事からの要望に最大限努力していきたい」
(2013年12月25日、仲井真知事との会談で)
「知事の英断に感謝申し上げたい。(普天間の5年以内の運用停止など)知事と約束したことは県民との約束だ。約束を果たすために全力を尽くす
(2013年12月27日、埋め立て承認を受けて)
■2014年11月~ 翁長雄志知事時代
2014年11月の県知事選挙で、那覇市長だった翁長雄志氏が辺野古移設反対を掲げ、現職の仲井真知事に大差をつけて初当選した。
「辺野古への移転が唯一の解決策」
「普天間の一日も早い危険性除去、撤去はわれわれも沖縄も思いは同じだろう。丁寧な説明をさせていただきながら、理解を得るべく努力を続けたい」
(いずれも2015年4月17日、翁長知事の当選から5カ月後の初めての会談で)
2016年4月、本島中部で米軍属による女性暴行殺人事件が発生。6月には事件に抗議し、被害者を追悼する県民大会が開かれ、6万5千人が怒りの声を上げた。
「身勝手で卑劣極まりない犯罪に非常に強い憤りを覚える。オバマ大統領に対して厳正な対処を求めたい」
(2016年5月23日、米軍属女性暴行殺人事件を受けた翁長知事との会談で)
2016年12月、普天間飛行場所属のオスプレイが名護市安部の沿岸部に墜落、大破。翌17年10月には普天間所属のCH53Eヘリが東村高江の牧草地に不時着、炎上する事故が起きた。さらに2カ月後の12月には宜野湾市の普天間第二小学校の運動場に米軍機から重さ約7.7キロの窓が落下、同市の緑ケ丘保育園にプラスチック製の部品が落下する事故が相次いだ。
「米軍機の飛行は安全第一で考えてもらわなければ困る。米側に原因の徹底究明と再発防止を申し入れるように指示した」
(2017年10月11日、CH53Eの墜落炎上を受けて)
2018年2月4日、普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画の是非が焦点となった名護市長選。安倍政権が推した渡具知武豊氏が現職の稲嶺進氏の3選を阻んで当選した。
「本当に勝って良かった。選んでいただいた名護市民の皆さまに感謝したい」
(2018年2月5日、名護市長選で渡具知氏の当選を受けて)
6月23日の「慰霊の日」に行われる沖縄全戦没者追悼式でも、安倍首相の発言はたびたび物議を醸した。
「できることは全て行うという方針の下、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」
「辺野古に移ることで飛行経路が海上に移り、学校はもとより住宅の上空は飛行経路にならない。安全上の観点からも負担軽減に資するものがある」
(いずれも2018年6月23日、沖縄全戦没者追悼式に参列して)
2018年8月8日、辺野古への新基地建設に反対し、膵臓(すいぞう)がんの治療を受けながら公務を続けてきた翁長知事が急逝した。
「沖縄の発展に文字通り命がけで取り組んできた政治家だ。沖縄への貢献に敬意を表したい。(沖縄の米軍基地集中は)到底是認できない。沖縄の負担軽減や沖縄の発展に全力を尽くす」
(2018年8月9日、翁長知事死去についてコメント)
■2018年10月~ 玉城デニー知事時代
2018年9月30日、翁長知事の死去にともなう沖縄県知事選で、翁長氏の「後継者」として推された前衆院議員の玉城デニー氏が当選。県民は再び「辺野古ノー」の知事を選んだ。さらに翌年2月24日には辺野古移設に必要な埋め立ての賛否を問う県民投票で、埋め立てに「反対」が得票総数の7割を超え、新基地建設反対の民意が示されたが、基地建設の工事は現在も続いている。
「戦後70年たった今なお米軍基地の多くが沖縄に集中し、大きな負担を担う現状は到底是認できない。県民の気持ちに寄り添いながら、基地負担軽減に向け一つ一つ成果を出す」
(2018年10月12日、玉城知事就任後の初会談で)
「沖縄の皆さまにとって普天間の返還はあるにせよ、辺野古に新たな基地が建設されるということについて『また沖縄に』というお気持ちがあることは十分に理解できる」
(2019年2月25日、衆院予算委員会で県民投票の結果について)
「県民投票の結果を真摯に受け止める。(普天間の)危険な状況を置き去りにするわけにはいかない。SACO合意から20年以上たつ中、(移設を)先送りすることはできない」
(2019年3月1日、県民投票の結果を受けて玉城知事と会談して)