戦前の沖縄の新聞がなぜ山形に…1937年の琉球新報が見つかる


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎

 山形市にある1877年創業の老舗文房具店「三益堂」で、太平洋戦争前に沖縄県で発行された「琉球新報」の紙面が見つかった。戦前史料のデジタル化を進める沖縄県教育委員会によると、県内では戦前の新聞は大半が焼失しており貴重だという。発見した斎藤実社長(49)は「沖縄の地で社会の役に立ってもらいたい」とし、紙面を県教委に寄贈する予定だ。

 見つかったのは1937年3月28日付の紙面4ページ分。1面には「罪の少年少女を導く『少年法』の全国化」との見出しの記事や、当時上映されていた映画の広告などが掲載されている。他の面には、泡盛の原料となる米の輸入申請や郵便料金値上げに関する記事があり、当時の社会情勢を知ることができる。

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 斎藤社長が今年5月、店の倉庫で発見。万年筆の広告を印刷する判型を包んでいた。先々代の祖父の時代からあったとみられるが、店は沖縄とつながりがなく「判型の製造元が包んだのではないか」と推測する。

 琉球新報は1893年創刊。1940年に新聞統合で「沖縄新報」と紙名を変更し、45年5月に廃刊となった。45年7月に「ウルマ新報」として再出発し、51年のサンフランシスコ平和条約締結を機に紙名を「琉球新報」に改めた。

 現在の琉球新報社(那覇市)には、37年当時の新聞は残っておらず、島洋子編集局長は「どういう経緯で山形まで紙面が行ったのか気になる。ロマンをかき立てられる」と話している。

(共同通信)

山形市の老舗文房具店「三益堂」で発見された戦前の「琉球新報」の紙面(1面)
戦前に発行された「琉球新報」の紙面を手にする老舗文房具店「三益堂」の斎藤実社長=山形市