なぜ不登校になるの 前田比呂也(中学美術教師・元中学校長)<未来へいっぽにほ>


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前田比呂也(中学美術教師・元中学長)

 なぜ不登校になるのか。答えは明快。それは、学校があるからだ。もう少し正確に言うと、行きたくなくなる学校があるからだ。

 「学校に居場所がない子に言ってあげることはありますか」への、ブルーハーツのボーカル・甲本ヒロトの答えがネットで話題になったことがある。「(前略)友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩(けんか)しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。だからいいよ、友達なんかいなくても」。明治の学制公布から変わらない学校の古い体質をよく捉えているこの言葉に、多くの人が救われた思いになるようだ。確かに学校には、学校文化とよばれる不可解なルールが数多く存在する。多くの人は、納得できないが面倒くさくならないよう、とりあえず合わせておくというふうに学校生活を過ごしてきたかもしれない。私もそうだった。しかしこれがベストアンサーなのは、学校の先生としてはつらすぎる。

 学校の役割とは何だろう。私は、学校は「自分らしさと出会う場所」だと考えている。さすがに最近は、「男らしく」「女だてらに」という言葉は聞かなくなったが、「子どもらしく」「中学生らしく」といった言葉は今も日常的に耳にする。この「らしさ」の強要をやめてみよう。「らしさ」の強要は、自己決定の機会を奪う。自己決定の機会が奪われると、自己肯定感が低くなる。制服やブラック校則の問題の根本はここにある。

 学校は、顔の見えない誰かが決めた「らしさ」に無批判に従うことを練習する場所ではない。「自分らしさ」に出会う場所だ。「自分らしさ」は、他者との交流の中でしか見つからない。すべての子どもたちが安心して行ってみたいと思える学校を、みんなでつくっていこう。