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母への感謝 沖縄戦生き残った思い胸に<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
佐藤優氏

 10日に予定されていた琉球新報主催の筆者によるオンライン講演が中止になった。新報は「講師の体調の都合」と発表したが、詳しく説明しておく。7月下旬に10月に予定されていた妻をドナーとする生体腎移植準備で心臓の精密検査をしたところ冠動脈狭窄(きょうさく)が見つかった。13―NアンモニアPET心筋血流検査という精密な検査だ。

 PETとは「positron emission tomography(陽電子放出断層撮影)」の略で、放射能を含む薬剤を用いる、核医学検査の一種だ。「13―Nアンモニア」と呼ばれる放射性薬剤を体内に投与し、その分析を特殊なカメラで捉えて画像化する。その結果、冠動脈狭窄の疑いが濃厚ということになった。移植医からは冠動脈狭窄の疑いがある状態で、腎移植手術は移植された腎臓が定着しなくなるリスクがあるため、心臓の治療を先行させる必要があると言われた。

 8月3日から東京女子医科大学病院に入院することになった。入院当日に右足の付け根から2ミリ程度のカテーテルを心臓に入れ(局所麻酔)、検査すると、左冠動脈の左前下行枝に90%の狭窄が見つかった。左前下行枝が完全に閉塞(へいそく)すると心筋梗塞で死亡する可能性もあった。

 心臓については無症状と思っていたが、よく思い出してみると、最近、階段を上がったり、重い荷物を持ったりすると息切れが激しく、だるさが一日中残ることがあった。本人は透析疲れと思っていたが、狭心症だったのかもしれない。去年11月に13―NアンモニアPET心筋血流検査を受けたときは異常がなかった。透析を導入すると動脈硬化が進むとは聞いていたが、半年強で冠動脈が90%も閉塞するとは思わなかった。

 東京女子医大は循環器(心臓)、腎臓内科、泌尿器科(腎移植も担当)にはトップクラスの医師が集まっている。循環器科で筆者を10年以上見てくださっている今回の検査と手術を行ってくださった中尾優先生(心臓についての筆者の10年に及ぶ主治医)、川本尚宜先生、多部志名先生に深く感謝している。

 検査中に中尾先生から、ステント治療と心臓バイパス治療の長短を聞いて、身体への負担が少ないステント治療を選択した。治療は数十分で終了し、透写画像を見ると血流も回復し、自覚症状でもとても元気になった。ただし、強い抗血小板剤(血液がさらさらになる薬)を最低6カ月は飲み続けなくてはならず、その間、開腹手術はできないため腎移植手術がかなり遅れることになる。

 病院のベッドに横たわりながら2010年に他界した母(佐藤安枝・旧姓上江洲、久米島出身)のことを思い出している。母は、沖縄戦の生き残りだった。戦後は沖縄に布教に来た日本基督教団の牧師から洗礼を受け、プロテスタントのキリスト教徒になった。母は筆者に自分の信仰を押しつけることはなかったが、沖縄戦で生き残った自分は、そのことに感謝し、神のみ心に沿う生き方をしようと努力していた。命は人間の所有物ではなく、神から預かったものだというのがキリスト教の考え方だと母は強調していた。私は宗教2世として母の信仰を継承できたことを誇りにしている。

 今回は冠動脈狭窄の手術が成功し、この世で筆者に生きる可能性が与えられた。このことを神に感謝し、残り限られた人生を「隣人を自分のように愛しなさい」(「マタイによる福音書」22章39節)というイエス・キリストの教えに忠実に生きたいと思う。沖縄のために役立つ仕事も続けたい。

(作家、元外務省主任分析官)