<書評>『人生ははーえーごんごん』 「生きる」ために「笑う」


社会
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『人生ははーえーごんごん』仲宗根澄 大城道子編 ボーダーインク・1980円

 本書は沖縄市を中心に社会運動にも貢献した仲宗根澄(1907―2011年)のライフヒストリーと家族の思い出、澄の関わった復帰陳情を扱った論考の3部からなる。

 第1部のライフヒストリーは、澄の人生を4部(戦前、戦時期、アメリカ統治期、復帰後)に分け、その人生の概略を述べている。構成は4分割されているが、内容は戦前期が詳しい。第2部は家族の目線から、澄の人となりが語られている。ちなみに澄は、1953年に山口県で開催された婦人指導者研究会議に沖縄代表の一人として参加している。この婦人研修の参加者は、山口に直行せず、東京で沖縄の現状を知らせる運動をしており、その一環で来日していたニクソン副大統領夫人に復帰の陳情書を渡したそうである。この件について、大城道子が第3部で詳細に論じている。本書には、参考文献、索引、年譜と仲宗根澄を理解するための資料も充実している(編者らの労苦に謝意を表したい)。

 澄の人生の前半である近代史(戦前)について、澄の母親は娘がヤマトンチュの嫁にいくことを心配したとある。もう一方で、進学時に「ウシー」という名前を役場の人の勧めで澄と「大和名」に直したことが語られており、ヤマト化を考えるうえで興味深い。

 その他、都会と田舎の風体の対比や、教員となり稼ぎ手になると、「女に教育させること」をばかにしていた人の態度が一変したことなど、近代の沖縄社会を理解するうえで興味深いエピソードも多数ある。戦後の「基地の街」での活動に関して、「(混血児は)多かったよ!」とおっしゃるばかりで深くは話されなかった―と、隔靴掻痒(かっかそうよう)のところもある。

 最後に、澄の人生には「笑う」という言葉によく出会う。ある面で教員として社会上昇を果たした立場ゆえと見えるが、夫を亡くし女手一つで子を育てているので、澄の性分など改めて多角的に考える必要を痛感した。女性が生きるには厳しい沖縄社会で「生きる」ために「笑う」術をどう身に着けるか、そのヒントを探す読み方もできると思う。

(高江洲昌哉・神奈川大等非常勤講師)


 編著を担当した大城道子さんのほか、和宇慶光子(第一部監修)、浦崎清子、小島久子、喜屋武すま子、ミラー知念ありさの各氏が執筆。沖縄市女性史サークルも監修を担った。