【深掘り】沖縄県と国、新たな法廷闘争へ 辺野古新基地の設計変更めぐる経緯と今後の動き


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 2004年8月の沖縄国際大ヘリ墜落事故から18年を迎えるのを前にした12日、米軍普天間飛行場移設に伴う辺野古新基地建設を巡って県は国を相手にした訴訟を提起し、新たな法廷闘争に突入した。県も国も普天間飛行場の危険性除去について「喫緊の課題」との認識を強調するが、「唯一の解決策」として辺野古移設に固執する国に対し、県は埋め立て工事の不確実性を訴え、移設の見直しを迫る構図が続く。

 1996年に日米両政府が普天間飛行場の返還に合意して26年が経過したが返還は実現せず、この間に沖国大ヘリ墜落事故をはじめ、航空機に関する事故が繰り返されている。

繰り返される事故

 玉城デニー知事は12日の会見で、2017年12月に同飛行場所属の大型ヘリが普天間第二小学校に窓を落下させ、校庭に避難所が設置された経緯に触れて「およそ全国にはない異常な状況だ」と訴えた。

 一方、新基地建設を巡って県と国の法廷闘争が続く状況に、松川正則宜野湾市長は「返還合意から26年が過ぎ、それでもなお反対だけでは宜野湾市民の状況を理解していないのではないか」と県への不満を隠さない。

 「法廷闘争が続き、普天間返還が遅れている」との批判に対し、玉城知事は「裁判は国の対応に対する行政手法だ」と述べ、民主的な手続きに基づかない国の強引な手法を県として訴えていると強調。「政府の考え一つで米側と協議を始めることはできる。それ(普天間返還の遅れ)と裁判とは全く関連性はない」と反論する。

知事の「信念」

 県と国の新基地建設を巡る訴訟は今回で10件目となったが、裁判所で中身の議論に踏み込まず、県側の訴えが入り口論で退けられる「門前払い」のケースも多い。

 18年8月に当時の翁長県政が辺野古埋め立て承認を「撤回」した際も、国土交通相は今回と同様に裁決を出し、承認撤回を無効化した。翁長県政を継いだ玉城県政は裁決の取り消しを求めて国地方係争処理委員会(係争委)を経て訴訟を提起したが、20年3月に敗訴が確定した。

 今回の設計変更不承認に対する国交相裁決を巡っては、係争委の却下を踏まえて「国の関与取り消し訴訟」を提起するかどうかの期限が8月12日に設定されていた。ただ、10月中旬を期限として裁決そのものの適法性を問う抗告訴訟も提起できる。「撤回」時の同様のケースで敗訴していたことを受け、関与取り消し訴訟については見送るとの観測もあった。

 そうした中でも新たな訴訟に踏み切った対応について、玉城県政の関係者は「南部土砂問題などで、県政の基地建設阻止に向けた取り組みを弱腰とみる向きもあった。提訴は知事の信念に揺らぎはないことを示した」と解説した。
 (塚崎昇平、新垣若菜)