<書評>『今帰仁御神 上・下巻』 攀安知の汚名返上訴える


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
『今帰仁御神 上・下巻』比嘉佑典著 ゆい出版・上巻、下巻各3850円

 今般『今帰仁御神』という題名の上・下2巻からなる大作が上梓された。著者は本邦の東アジア研究の学術界を久しく主導した比嘉佑典氏である。著者の思いの丈をつづったこの力作は、今帰仁古来の御獄信仰の重要性を説くとともに、かつて中世の今帰仁に君臨した攀安知(はんあんち)の汚名返上を成し遂げることの意義について、健筆を振るって訴える。

 上巻には沖縄の文化風土を顕現する今帰仁古来の御獄信仰、ウナイ神、北方由来の神々、蓬莱(ほうらい)神、ニライカナイ神、祖先崇拝などに関する著者の見識が縦横無尽に飛び交う。行間を埋め尽くす考察は中華大陸部に発生を見た女人信仰、紀元前期の江南地方を勢力圏とした越族と沖縄のつながりにも及ぶ。著者のこの件の論述は質・量共に圧巻を究める。

 下巻における最大の要点は著者が今帰仁崎山にあるアジ墓の被葬者を地保奴〈元朝崩壊後に琉球へ流刑になった元朝最期の皇帝の遺児〉に比定することに始まる。この斬新な仮説に沿って著者は中世、中今帰仁(なかなきじん)の棟梁・〓(みん)を問題の地保奴に見立て、さらに勇将攀安知を次世代の棟梁に据えたのも地保奴本人であったと見なす。

 著者はかかる解釈論に依拠して『中山世鑑』が唱える攀安知巨悪説に毅然(きぜん)と立ち向かう。加えて攀安知が今帰仁グスクを尚巴志に明け渡した経緯を巡っても史書の記述を排し禅譲説を唱える。このあたりの事情の説明には今帰仁崎山に代々伝わる古い屋号が役に立つと説明する。

 この脈絡に則した著者の精査は今帰仁の崎山から屋部へ分家したプー門中の系譜にも及ぶ。くしくも後者の一門久護家に伝わる『文昌帝君宝訓』を要約した文書は、宋・元両朝に仕えて一大勢力に伸し上がったペルシャ系の血族集団蒲〈プー〉一族との関わりを立証する。彼らは蕃坊内の子弟教育に問題の文書を使用したと伝わる。

 著者の説く歴史認識の信憑性(しんぴょうせい)を格上げするこの文書の存在は、大きな反響を呼ぶものと予見される。ちなみに中世今帰仁勢力ゆかりの発掘文物もおおむね著者の論調の下支えになる。

 (うえまあつし・名桜大名誉教授)

※注:〓は王ヘンに「民」


 ひが・ゆうてん 1940年屋我地村(現名護市)生まれ。東洋大アジア文化研究所長、名桜大理事長など歴任。著書に「沖縄チャンプルー文化創造論」「教育の原像―育ちのエコロジー」など。