原爆の日として知られる「8月6日」、米統治下の沖縄・伊江島で起きたこと LCT爆発「心の傷いまだいえず」74年目の慰霊祭


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慰霊碑に手を合わせ、事件の犠牲者を追悼する参列者=6日、伊江村川平

 【伊江】米統治下の1948年8月6日、沖縄県伊江島の波止場で起きた米軍弾薬処理船(LCT)爆発事件の慰霊祭(伊江村主催)が6日、村の被爆慰霊碑前で開かれた。遺族や村議会議員、区長ら約30人が参列し、107人の命を奪った戦後最大の爆発事件を振り返り、犠牲者に鎮魂の祈りをささげた。

 事件は、米軍の戦後処理で未使用の爆弾や爆薬、不発弾を輸送船(LCT)に積み込み、遠洋に運び出す作業中、荷崩れを起こして爆発、炎上した。渡久地港から伊江港に戻ってきた連絡船の入港と重なり、船員や下船中の乗客、出迎えに居合わせた人々を巻き込み大惨事となった。爆発音は島内に響き渡り、真っ赤に焼けた破片は周辺の民家や原野に散乱し、村内63人、村外44人、計107人の尊い命が奪われた。負傷者は村内外合わせて73人におよび、八つの家屋が全焼した。

 名城政英村長は「74年の歳月が過ぎ、心の傷はいまだに癒えることはない。過去の過ちを風化させることなく時の教訓として次世代に語り継ぐ」と慰霊の言葉を述べた。