「松代壕」の文化財指定が進まない理由 背景に朝鮮人労働を巡る歴史認識 <戦跡で継ぐ記憶 沖縄・長野で考える>㊦


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松代壕内でガイド(左)から説明を受ける親子連れ=14日、長野市松代町(信濃毎日新聞提供)

 長野市松代町の松代大本営地下壕(松代壕)について、市は「近代史を理解する上で欠くことのできない」(文化財課)とするものの、文化財指定には消極的な姿勢を貫いている。1994年には、沖縄県南風原町に残る陸軍病院壕を戦争遺跡として初めて文化財指定した同町の文化財保護委員らが長野市に対し、松代壕の文化財指定を求めたこともあったが、市は明確な回答を避けた。背景には、壕建設に動員された朝鮮人労働を巡る歴史認識の溝が横たわる。

 建設工事には朝鮮人約6千~7千人が従事したとされるが詳しい労働実態はいまだ解明されていない。

 朝鮮人労働者らが松代壕建設に動員された経緯を巡り、2014年には、壕入り口に置かれた看板の説明文から「強制的に」の部分がテープで隠されたことが発覚し、問題化した。

 「強制ではなかったのではないか」との声が寄せられたことを受け、市自らがテープを貼っていた。結局、市は看板をかけ替えて「必ずしも全てが強制的ではなかった」との表記にした。

 日韓関係を巡っては、日本が世界文化遺産登録を目指す「佐渡島(さど)の金山」(新潟県)でも韓国が朝鮮半島出身者が強制労働させられたと主張し、火種となっている。

 こうしたことも念頭に、市文化財課の担当者は「市では手に負えない。歴史的評価は国にしてもらいたい」とも話す。

 市が松代壕の一部公開を正式に始めたのは1990年。現在は安全管理費などに年間500万~600万円ほどを充てているが、壕の調査やガイド活動は市民の手で続けられてきた。

 終戦記念日を前にした14日、松代壕には天井に刺さったままの削岩機のロッドや、朝鮮人労働者が記したとされる文字を真剣に見学する親子の姿があった。壕のガイドを担うNPO法人松代大本営平和祈念館が、平和学習の場として例年開いている親子向け見学会だ。

 同法人の花岡邦明理事長(71)は、松代壕の持続的な保存には「行政による一貫した位置付けが必要」として史跡化を求めつつ「単純な史跡化ではなく、若い世代が学習する場としてどう生かすかを議論しなければいけない」と指摘。「9月の交流を機に、沖縄の人たちと共に考えたい」としている。

(竹越萌子、信濃毎日新聞提供)