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「譲ってはいけないもの、見失ってはいけないものがある」 問われ続ける沖縄戦の認識 <9・11県知事選 復帰50年の選択>㊦


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県立平和祈念資料館に展示された日本軍の銃器や遺品。住民の遺品の展示や解説はなかった(県公文書館所蔵)

 ロシアによるウクライナ侵攻や、台湾情勢が緊迫する中で迎える今回の沖縄県知事選。77年前に地上戦を体験した県民にとって、知事がどのように現状と向き合うのかは、一票を託す大切な動機になる。その理念を体現するのが県の平和行政だ。日本復帰後、県の平和行政は絶えず沖縄戦認識を問われてきた。

 1975年6月、糸満市摩文仁の平和祈念公園に県立平和祈念資料館が開館した。下見をした真栄里泰山さん(78)は、日本軍の銃器や遺品がガラスケースの中に麗々しく並べられているのを見て「県民の戦争体験とは全く違う」と違和感を抱いた。同館の建設は初代沖縄開発庁長官・山中貞則氏の意向で、復帰記念事業の海洋博で来県する皇太子夫妻の訪問に間に合わせるために建設を急いだとされる。

 真栄里さんは当時、那覇市史編集室に在籍。71年に県史が住民の戦争体験を収録し、同時期に那覇市は市民の戦時体験記を発刊した。沖縄戦研究家・作家の大城将保氏らと問題意識を共有して「沖縄戦を考える会」を設立して、知事と県議会に展示改善を要望した。

 「沖縄戦をみつめて―日米両軍のはざまに生きる」(78年、沖縄戦を考える会著・発行)によると、資料館の建設費は全額国庫補助で、学識経験者の参画や委員会の設置はなく、県の援護課が建築工事から展示まで主管した。県庁内で閉鎖的に進められたことや、管理運営を県戦没者慰霊奉賛会に委託したことなどが、軍人中心の展示の要因だと同書は指摘する。

 「沖縄県史 各論編7 現代」で「問われる沖縄戦」を執筆した、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「県政には、こと自分たちの沖縄戦の歴史認識に関してだけは譲ってはいけないもの、見失ってはいけないことがある」と指摘する。

 資料館を巡っては2000年の新館建設時の展示で、住民に銃を向ける日本兵から銃が取り払われるなどの問題も起きた。県は一昨年、沖縄全戦没者追悼式の式場を国立沖縄戦没者墓苑に変更すると発表し、一部の県民から「殉国死」に結びつくと反対もあった。詳しい経緯は今まで明らかにされていない。

 普天間館長は、コロナや貧困など県の課題は山積していると前置きした上で「知事も県庁職員も沖縄戦を学び直し、捉え直すことが必要だ。それは沖縄の原点だ」と強調する。そのことが今起きている問題への対応にもつながるとし、知事になる人には沖縄を再び戦場にしない県政のかじ取りを求めている。

(中村万里子)