「うれしそうに糸を績んでいた」「自分の仕事に厳しく」…芭蕉布に新しい風を吹き込む 人間国宝・平良敏子さん死去 関係者がしのぶ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 イトバショウの栽培から始まり、繊維をとり出し糸を作り(苧績(うーう)み)、撚(よ)りをかけ、染め、織りまで地道で根気のいる手作業で生み出される喜如嘉の芭蕉布。人間国宝の平良敏子さんは、鏡に「偽りのない仕事をさせてください」と祈ってから作業に向き合った。101歳。戦後の荒廃から芭蕉布を復興し、価値を高め、温かいまなざしで後進を育てた偉大な職人は、大きな遺産を残してこの世を去った。

20を超える工程を経て生み出される芭蕉布。一つ一つの作業を丁寧にこなす平良敏子さん=2000年5月、大宜味村喜如嘉の村立芭蕉布会館
芭蕉布作りは畑づくりから。イトバショウ畑で作業する平良敏子さん=2018年2月、大宜味村喜如嘉

 県立芸術大学客員教授の柳悦州さんは4、5年前に喜如嘉を訪ねた時の仕事姿が印象に残っている。力の必要な作業は若者に任せていたが、糸を績(う)む作業をこなしていた。「楽しそうに、うれしそうに糸を績んでいた。にこにこしながら一心不乱に作業されていた」

 映画監督の謝名元慶福さんは2015年、平良さんに密着した映画「芭蕉布―平良敏子のわざ―」を撮った。「優しい人だが、自分の仕事には厳しく向き合っていた。長年の努力で培った技をいかに撮るのか、それだけを考え、緊張感を持って撮影した」という。映画は映文連アワードでグランプリを受賞。「平良さんの技が受賞したようなものだ」と語った。

 平良さんのめいで、南風原文化センター館長の平良次子さんは、数え年97歳を祝うカジマヤーを思い出す。祝われる側の敏子さんは集まったおいやめいに風車柄の芭蕉布を配った。次子さんはその時の風車やセミ、トンボなど、敏子さんが織りなす独創的な柄が好きだという。「おしゃれで発想が自由。新しい柄を考える時は楽しそうだった」と、挑戦を楽しむ敏子さんの姿を思い浮かべた。

 昔は生活のための芭蕉布づくりだったが、現在は生計を立てるのは厳しい環境になった。だからこそ、あえてこの道を選ぶ若手を優しく迎えて指導した。「若い人が活躍すると、自分のことのように喜んでいた」

 首里織の製作技術者・指導者で県立芸術大学名誉教授の祝嶺恭子さんは「庶民的なものとして知られていた芭蕉布に新しい風を吹き込んだ。挑戦し続ける意気込みは学ぶことが多い。織物に対する姿勢や心がけなどは、教科書にはない」と敬意を表し、織物に携わる人々で継承していく思いを語った。
 (稲福政俊まとめ)