白梅同窓会での平和活動、戦争体験を冊子に…非戦の思い強く 宮平義子さん死去 関係者ら悲しみ悼む


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戦後、満州(現中国東北部)から引き揚げた体験を語る宮平義子さん

 沖縄戦で亡くなった県立第二高等女学校の生徒や教職員149人の思いを継ぎ、平和活動を続けてきた白梅同窓会の書記、宮平義子さんの訃報に、同会の中山きく会長(93)は「同窓会活動に積極的で一生懸命に良くしてくれた」と悲しんだ。

 会の行事や慰霊祭では、準備から片付けまで奔走する宮平さんの姿がいつもあったという。90歳を超えるまで尽力してきたことに「いつも同窓会のことを気に掛けてくれてありがとうね」と手を合わせ冥福を祈った。

 宮平さんは1944年の10・10空襲を経験した。45年1月に大分県に疎開し、同年5月に兄の誘いで両親と満州へ移住。同年8月に宣戦布告したソ連軍から逃れる途中で父が射殺され、親類も亡くした。

 満州について研究する「沖縄女性史を考える会」の山内るりさんによると、同会の調査にも協力的で、2015年に解散した沖縄満州会の会合にも欠かさず出席していたという。

 証言だけでなく、自分自身で戦争体験を冊子にまとめる姿に「後世に非戦の思いを伝えたいという気持ちが強い方でした」と惜しんだ。

(嘉陽拓也)