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芸の道を歩む姉弟 民謡への思い、新唄大賞でグランプリ…仲村咲さん 卒業後にお笑いの道へ、今もネタ作り励む…仲村昭吾さん 久米島高校(5)<セピア色の春―高校人国記>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
海岸に面した久米島高校のグラウンド

 芸の道を歩むきょうだいがいる。姉は民謡、弟はお笑いの世界で生きる。

 民謡歌手の仲村咲(34)は久米島高校の57期。保育所に勤めながら各地のステージで歌う。高校時代を振り返り「存在感の薄い生徒だった」と語る。

 1987年、仲里村(現久米島町)真謝で生まれた。美崎小学校に通っている頃から歌三線を学び、「美崎みやらび」というグループで地域行事に出演した。「民謡はじいちゃん、ばあちゃんがやるものと思っていた。舞台に立つのは恥ずかしかった」と振り返る。

仲村 咲氏

 2003年、推薦で久米島高校に入学した。面接官の教師の前で「やっちー」(上原直彦作詞、普久原恒勇作曲)を歌った。

 「古謝美佐子さんが歌う『やっちー』を聞き、こんなふうに歌いたいと思った。歌詞の意味は正直、分からなかったけれど」

 自分の性格を「負けず嫌いだ」と語る。所属した女子バレーボール部ではチームメートにライバル心を抱き、1人で朝練に励んだ。

 歌は続けていた。校内合唱コンクールでTHE BOOMの「島唄」(詞曲・宮沢和史)の冒頭を舞台で独唱し、周囲を驚かせた。島内の観光ホテルや地域の祭りで歌ったこともある。「お客に喜んでもらうことがうれしかった。涙を流しながら聞いてくれる人もいた」と仲村。民謡への思いを募らせていく。

 卒業後、島を離れ、沖縄女子短期大学に入学。知人の誘いで那覇市内の店で歌うようになった。歌で生きることを自覚したのはその頃。両親は「やりたいようにやりなさい」と背中を押してくれた。

 夫は民謡歌手でラジオパーソナリティーの吉田安敬。共にステージに立つこともある。今年、島の先輩、新垣良実が作った「かくり花」で、ラジオ沖縄(ROK)の新作民謡コンテスト「新唄大賞のグランプリを取った。今月11日には夫や義母の盛和子が出演するROKの旧盆特別番組で受賞作を歌った。

仲村 昭吾氏

 弟の仲村昭吾(31)は61期。久米島にある家業の運送会社で働きながら芸人の活動を続けている。「仕事しながら、お笑いをやっている」と快活に語る。双子の弟、昭平と共に沖縄角力の選手としても活躍している。

 1991年生まれ。友達に誘われたのがきっかけで、幼い頃から高校まで野球少年だった。

 2007年、久米島高校に入学。「今の成績だと普通科は厳しいよと言われ、園芸科に進んだ」と話す。ここで学んだ3年間は貴重な経験となった。

 「農業体験は実践的で素晴らしかった。レタスなどの野菜やメロンを育てるのは楽しかった。普通の授業よりも農業実習の方が自分には向いていると思った」

 お笑いには関心はなかったが、野球部の仲間と学校行事の後夜祭に出演したことがある。「僕は人前に出るのは苦手。漫才やコントというレベルじゃなかった」と語る。

 ところが卒業後、芸人として歩み出す。09年、沖縄国際大学に進学した仲村は野球部の仲間だった喜久里航平とお笑いコンビ・ドラゴンエマニエルを組んだ。あるお笑い芸人に刺激を受け「自分たちの方が面白いんじゃないか」と思ったのがきっかけだった。

 お笑いコンテストの決勝戦に敗れ「脳の奥が熱くなるほど悔しかった」という経験もしたが、11年の第5回「新春! oh笑いO―1(オーワン)グランプリ」(沖縄テレビ放送主催)で優勝。その後もO―1グランプリで2回優勝し、19年に10年の活動を終えた。

 帰郷し、現在は司会業をこなしながら、新たな相方とコンビを組み、活動を続けている。

 「沖縄ではお笑いだけで食っていくのは難しい。自分の中で葛藤があるけど、お笑いをやりたいという気持ちは前より強くなった」。お客の笑い声を求め、仲村はネタ作りに知恵を絞る。

(文中敬称略)

(編集委員・小那覇安剛)