新たな校舎で戦禍を生き延びた友人と再会 戻らぬ学友も…瀬名波栄喜さん 北部農林高校(1)<セピア色の春―高校人国記>


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高校時代について語る瀬名波栄喜さん

 1946年1月、北部農林高校が名護市東江に創設される。現在は市立東江中学校がある地である。開校当初は国頭農事試験場と併設だった。

 前年の敗戦とともに廃校となった県立農林学校の生徒だった83人が新たな学びやに集まった。名桜大学学長を務めた瀬名波栄喜(93)も新生北部農林(2期)で学んだ1人である。

 戦禍を生き延びた農林学校の生徒が名護で再会した。「何とも言えない気持ちだった。『君も生きていたのか』と喜び合った」と瀬名波は振り返る。

 戻ってこなかった学友もいた。「優秀な生徒たちが戦争で亡くなったことが惜しまれてならない。生きていれば沖縄の復興に尽くしていたはずだ」

 鉄血勤皇隊として戦場に動員され、犠牲となった生徒もいた。現在、瀬名波は沖縄戦体験の継承に力を注いでいる。戦禍に倒れた学友の無念を忘れないという思いが活動の根底にある。

(文中敬称略)
(編集委員・小那覇安剛)
 


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