沖縄県那覇市の首里城公園の円鑑池(えんかんち)周辺でこのほど、琉球王国時代の遺構とみられる道の石敷きが見つかった。市が防水工事のため、池周辺のアスファルト歩道を掘り返したところ、その下から出てきたという。市文化財課の担当者は「琉球王国の雰囲気を残している遺跡として貴重ではないか」と話す。
那覇市文化財課によると、9月28日にアスファルトの歩道の下から石敷きが見つかった。東京国立博物館が所蔵する明治初期の写真と照らし合わせると、円覚寺の参道と天女橋を結ぶ「取り付け道路」の断面と形がよく似ていることが分かったという。今回見つかった石敷きは、この道路の断面とみられるという。
円鑑池は1502年に造られた人工池で、首里城や円覚寺からの湧水や雨水が集まる仕組みになっている。沖縄戦で破壊されたが、1968年に修復された。石敷きの上にあった盛り土は、沖縄師範学校が1886年(明治19年)に建てられた際になされたとみられる。市文化財課の外間政明担当副参事は「結果的に遺構が守られることにつながった」と話す。
写真からは、当時の地形として円覚寺と円鑑池周辺は平たんだったことが見て取れる。外間副参事は「当時と今とでは、全く地形が異なっている。遺構からは、王国時代から近現代の移り変わりが見えてくる」と話す。同課は遺構を保護し、10日には埋め戻す予定。今後、県とも調整し、改めて調査を検討するという。
(普天間伊織、中村万里子)