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「持ち帰り家具」の開発 「先入観なく飛び込めた」、輸入経験生かし、現地工場と交渉<暮らしを豊かに・家具の「大川」>4


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
客の要望を受けて自社で開発したカウチソファ=沖縄市与儀のトゥデイ・オーケー

 大川は、車社会沖縄にマッチした「持ち帰り家具」を自社開発することで、時間とコストの両面で離島県のハンディを克服している。

 家具を仕入れて売る業態から、商品開発まで手掛けるようになった分岐点は1997年だ。現在のリビングデザインスクエア泡瀬の場所にアウトレット家具の「Furniture To Go O!K」(ファニチャー・トゥー・ゴー・オーケー)をオープンした。「すぐに持ち帰ってすぐに使える」がコンセプトの現品販売の店は国内でも珍しかった。

 離島県沖縄の小売業では、客の手元に届くまでの時間と配送料がネックとなる。それまでは家具が客の手元に届くまで購入後10日程かかった。さらに配送料の負担も重くのし掛かった。家具の持ち帰りは沖縄の消費者が抱える二つの課題を同時に解決するもので、沖縄の車社会もプラスに作用し浸透した。

 今の大川の強みにつながる持ち帰り家具の自社開発という方向性は、一つの失敗から生まれた。

 84年、那覇市古島にオープンした大型店「ビビホーム那覇店」は、県内初の生活雑貨と家具の専門店として成功した。中部でも展開しようと94年に「ビビホーム中部店」を開店したが、那覇店と商圏が重なり、売り上げは那覇店の3分の1にとどまった。外間幸一社長は1年半で中部店の閉店を決断。新しい業態として目をつけたのが、米国で流行していたアウトレットだった。

 米国で視察を繰り返し、仕入れからオペレーションに至るまで細部を詰めた。物流コストがかさむ沖縄で、低価格で高品質なものを提供するには、中間手数料を省くために自社での製品開発が不可欠だった。

 中国など海外から商品を輸入してきた経験や、欧米やアジア各国のインテリアが好きで各地とのネットワークを持っていた外間社長は、海外の現地工場と直接交渉し、商品開発に着手した。家具店が自社で製品を開発することは、当時は大手でもほとんど行われていなかった。外間社長は「国内ではどこもやっていないから、先入観なく飛び込んで行けた」と、大きな挑戦を振り返る。

 大川では、商品開発担当者やバイヤーも店頭で接客することで、需要に対応した商品開発を実現している。商品本部の上茂大輔本部長は「開発側が推したいポイントと客が選ぶポイントは違うことがある。それを商品作りや改善につなげている」と話す。

 例えば人気商品のレイアウトが自由に変えられるソファは「カウチソファを置きたいが、部屋に対してサイズが大きすぎる」という客の声を受けて開発した。「小売は客の近くにいる方が強い」という外間社長の言葉通り、自社開発商品の売り上げ比率は年々上がっている。

(玉城江梨子)