ジェンダー教育、心支え得るものに 性暴力可視化する契機に 宮城公子(沖縄大教授)<女性たち発・うちなー語らな>


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 実家の古い童話の最初のページに私の名前が書かれていたらしく、知り合いの子が見て、「この人今生きてるの?」と聞いたそうだ。爆笑したが、今生きて見聞きする現実のうそ寒さを思うと、少し消えたい感もある。

 復帰50年、敗戦77年の今年、在任中、沖縄を蹂躙(じゅうりん)し続けてきた元首相が撃たれ亡くなり、政府はますます国家を前面に出した「国」葬儀を行い、米国製兵器を唯々諾々とか、喜々としてか、爆買いし続け、1千兆円を超える「国」債をさらに増やすような気配も濃厚だ。

 心の底からおいしい空気をゆったり吸いたいと思うのは、この、どこもゆったりしていない「国」の動きのせいだろうか。国外の国家同士の現在進行形の戦争の日々の報道も胸が痛い。そして戦時の暴力に付いて回る性の蹂躙。先の戦争でのアジアの女性たちに対する日本兵の性暴力や、米軍基地に由来する、これも現在進行形の性犯罪も、その暗鬱(あんうつ)な層に重なる。

 最近、実名で性暴力を訴えた元自衛隊員女性に対し、やっと隊から謝罪があったが、隊を辞める際、口外しないと書かされていた。軍隊的組織と性暴力のこの構造的な相性の良さにも暗たんとするが、それでも可視化されたことは微々たるにしても進展ではあるのだろう。

 別の性暴力被害女性が、加害者への刑事裁判で何度も心が折れかけても裁判を続ける自由について、それは大学でジェンダーを学び、性暴力へ立ち向かうべく正しい知識を得ていたからだと発言した。この「国」がグロテスクな言い訳で包括的性教育を避けているため、大学に行かないと性暴力への知識が身につかないというのは心もとないが、せめて、自分もその一端を手がけるジェンダー教育が、受講者の心を支え得るものになってほしいと、改めて心を振り絞って思う。

 それでもそのなけなしの教育は当然不完全なものだ。沖縄の若年女性の性被害や虐待、パートナーの育児放棄、貧困やDVなどはコロナ禍も相まって待ったなしの対応を迫る。今回の地方選挙で、少なくはあっても若い世代の女性議員がジェンダー問題への清新なメッセージを出した。国ではなく、彼女ら、地域、非営利組織や、とにかく必要を感じている人々がもっとつながれるようになりたい。

 ある学生が県警の試験に受かった。私のゼミでジェンダーをテーマに勉強していると言うと、警察とジェンダーについての応答が面接の大半を占めたそうだ。そこにもかすかな希望を感じる。少しずつ、声高に出なくても黙らずに。


 みやぎ・きみこ 東京大・ブラウン大修士課程修了。沖縄大教授。日本文学・比較文学・ジェンダー学・異文化理解・英語教育担当。大学の演習ではジェンダー関連を担当。共著「Southern Exposure: Modern Japanese Literature from Okinawa(沖縄近代文学アンソロジー)」「継続する植民地主義 ジェンダー/民族/人種/」他。