なぜ姓が「ゼンコロウ」に? 旧屋我地村から移民の子孫 沖縄への思いを受け継ぐ4世 ニューカレドニア


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父親ゆずりの明るい笑顔で客を迎えるゼンコロウ・セリンさん=ニューカレドニア

 ニューカレドニア北部東海岸にはゼンコロウという姓の日系人家族がいる。沖縄の旧屋我地村からニッケル鉱山の鉱夫としてニューカレドニアに渡った玉城善九郎さんの子孫だ。善九郎さんは1933年に43歳で亡くなった。日本では姓が先で名前が後ということを知らない役人が、書類に名前を記載する際に入れ替えてしまい、この一族の姓はゼンコロウとなった。

 善九郎さんは現地の女性と家庭を築いて一生懸命に働き、土地を手に入れ現在のゼンコロウ家の基礎をつくった。5人の孫のうち、祖父の土地を有効活用し事業を広げたのが3世のジャン・ピエール・ゼンコロウさんだ。北部ではヤム芋生産の第一人者として知られ、民泊施設を造るなど観光にも手を広げた。明るくダイナミックで、事業にも成功した。沖縄県人会初代会長としての顔もあり、誰よりも沖縄を愛した。しかし病に倒れ、今年4月に69歳で亡くなった。

 娘のゼンコロウ・セリンさんは1976年生まれで、地元の学校を出ると親元を離れウエートレスなどさまざまな仕事に就いた。4年前、病に倒れた父親が入院するオーストラリアの病院に看病に行った。それまでは彼女にとって父親は偉大で厳格な人で、向き合って話すことはあまりなかった。しかし、その時初めて打ち解け、父親の歴史に耳を傾けるようになった。手掛けた仕事や仕事に対する情熱、沖縄に対する熱い思いを聞き、弟と一緒に母親の支えになろうと決心した。

 現在、セリンさんは母親とともに、チャンバ川近くの美しい地にある民宿・キャンプ場の料理を担当する。セリンさんはたくましくて頼もしく、父親ゆずりの明るい笑顔で客を迎える。地元の食材や自分で作った野菜や芋、夫が釣ってくる魚などで食事を提供している。トラクターに乗って畑を耕し、年2トンのヤム芋を生産している。彼女が住む集落のあるプワンデミエ市の仕事も請け負い、道路沿いの除草作業もしている。父が築いた仕事を自分が受け継いだと感謝している。

 ジャン・ピエールさんは世界のウチナーンチュ大会に参加することを励みに闘病を続けていた。そして将来は沖縄に住むことが夢だった。セリンさんは「父親がそれほど愛した沖縄に行くことが自分の夢となった」と話している。
(山田由美子ニューカレドニア通信員)