各界で活躍する沖縄県系人 ウチナーンチュ大会 30日開幕、歓迎を 江州幸治氏(沖大・沖国大特別研究員)〈続・海を越えた絆 沖縄の国際交流〉1


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第1回世界のウチナーンチュ大会=1990年8月23日、宜野湾市コンベンションセンター

 「海を越えた絆」の前連載から1年以上が経(た)った。本来なら2021年開催予定であった「第7回世界のウチナーンチュ大会」が、いよいよ今月30日の前夜祭から始まる。県民皆で歓迎しよう!

 ところで、ウチナーンチュ大会とは別に、10月22日から11月27日までの間、「美ら島おきなわ文化祭2022」が開催される。交易や南洋諸島やハワイ、南北米などへの移民などの歴史をも反映した沖縄の文化の集大成である。この二つの大会が協力し合い相乗効果を発揮してほしい。

国際交流の系譜

 承知のように、沖縄の国際交流には大きな二つの特徴がある。一つは一般的な国を超えた地域と地域の人的、物的な交流である。もう一つは主に県民が海外に移住をし、移住者同士や現地の人との婚姻などにより形成された県系人社会との交流で、通常はその地の県人会が窓口の中心となる。

 まず国際交流についてだが、かつて沖縄は琉球という王国を成し、中国との進貢貿易や日本、さらには東南アジア諸国との交易を行い、大交易時代とも呼ばれる歴史を有する。このことは、東アジアの結節点として他の国々へ中継し交易を行ったという誇りと気概を沖縄の人々に宿らした。「舟楫を以て万国の津梁となし、異産至宝は十方刹に充満せり」との万国津梁の鐘に刻まれた銘文は、今も当時の人々の自負心を私たちに伝え、多くの県民のロマン心をかき立てる。

 しかし、1872年に琉球王国は琉球藩とされ、以降は独立国としての外交や交易の自由を奪われ、本土からの差別視や経済不況の中で人々の心も次第に屈折したものとなっていく。

 戦後米国統治下にあった沖縄は、復帰の1972年12月に沖縄の地域振興を目的として、沖縄振興開発計画が決定され、新全国総合開発計画第4部として「沖縄開発の基本構想」が加えられた。

 同構想は本土との格差是正、地理的特性を生かした自立的発展のための基礎条件整備、基地経済から平和経済への移行、地理的優位性等活用により沖縄を日本の南の交流拠点としたが拠点は様々(さまざま)な意味を持った。

 復帰前から沖縄と関りを持ち、沖縄振興のキーマンであった下河辺淳元国土庁事務次官は、国際交流施策や大田県政時の国際都市形成構想に多大の影響を与えたが、現在の沖縄県の国際交流施策基盤を作ったのは西銘順治元知事で、「世界のウチナーンチュ大会」も同知事の発案だ。

ネットワーク

 廃藩置県以降、農業などの構造的不況を受け、人々は自由や海外での成功を夢見る。1899年初の官約移民がハワイに出発、以後北米や南米、南洋群島などへの移住が増えたのが、海外移住である。

 現在ウチナーンチュの著名人として、今大会参加予定のハワイ州のデービッド・イゲ知事、メジャーリーグ強豪ドジャースのデーブ・ロバーツ監督、映画「空手キッド」のヒロイン役で米人気番組「グッドドクター」出演のタムリン冨田やセイコウ・イシカワ現駐日ベネズエラ大使がいる。

 ウチナーンチュ大会は第6回大会では参加者が7353人となり、その間、「ウチナー民間大使」任命、「ワールドワイド ウチナーンチュ ビジネスアソシエーション(WUB)」や「世界若者ウチナーンチュ連合会」も設立され交流に尽力している。

 県の「沖縄21世紀国際交流基本戦略」では、ウチナーネットワークの継承・拡大に向けた取り組みとして、(1)県人会との連携(2)新ウチナー民間大使の認証(3)姉妹都市との交流(4)世界のウチナーンチュ大会の開催(5)世界若者ウチナーンチュ連合会との連携―などを挙げ、万国津梁会議でもウチナーネットワークの継承・拡大の方法を提言している。

(沖縄大学・沖縄国際大学特別研究員、早稲田大学大学院博士後期課程修了)