吃音への理解広がる社会に 「国際吃音啓発の日」に寄せて 濱口寿夫(中城村護佐丸歴史資料図書館長)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 自分の思うようにスムーズに話せないなどの症状がある「吃音(きつおん)」。22日の「国際吃音啓発の日」にちなみ、吃音がある人達への理解につながる書籍を中城村護佐丸歴史資料図書館長の濱口寿夫さんに紹介してもらった。

濱口寿夫氏

 10月22日は「国際吃音(きつおん)啓発の日」である。吃音に対する社会の理解を広めるため1998年に設定された。といっても、私は以前からこの日を知っていた訳ではなく、それどころか吃音について考えたこともなかった。先日、当館の利用者が教えてくれたのだ。その後、当館にある『どもる体』(伊藤亜紗)、『吃音 伝えられないもどかしさ』(近藤雄生)、『吃音の合理的配慮』(菊池良和)を読み、自分の無知に驚くと同時に、社会における周知は十分でないと感じている。

 吃音は100人に1人の割合で発症する。学校では3クラスに1人ぐらい吃音の子がいる勘定だ。吃音には「ボボ、ボクは」とはじめの音が続く「連発」、「ボーークは」と音が伸びる「伸発」、「・・・ボクは」と言葉がなかなか出ない「難発」がある。原因については、昔から「利き手の矯正」、「過度のしつけ」、「まねすること」などさまざまな説が唱えられてきたが、現在は否定されている。近年は脳の発話中枢との関連で研究が進んでいるが、発生機構にはなお謎が多い。確立された治療法はないが、呼吸やリズムを意識したり、あるキャラクターを「演ずる」ことで流暢(りゅうちょう)に話せる人もいる。不得意な語を別の語に言い換えることは最もよく行われている工夫である。

 吃音は周囲の人たちが気付きにくい。そのため、周囲の人たちは吃音について考え理解を深める機会が少なくなりがちだ。子どもたちの場合、どもった級友を笑ったりからかったりする。高校生ぐらいになると生徒同士のトラブルは減るが、教師の対応が課題となる場合がある。難発の生徒に教科書の朗読を課し、事情を知らずに「さっさと読まんか!」とってしまったりするのだ。

 以前、大学入学共通テストに英語スピーキング導入の動きがあった。TOEFLなどを利用する計画だったため、地域間や経済面での公平性の担保が主な論点になった。この時、吃音者が不利ではないかという議論はちまたでは聞いたことがなかった。しかし、もし自分がその立場だったら、スピーキングの導入は「恐怖」に近いのではないか。かけ算九九の読み上げや自己紹介、電話対応など学校や職場での何気ない活動が吃音者に重くのしかかる場面は意外に多い。

 吃音に対する考え方は個々の吃音者で違い、周囲の人たちに望むことも人それぞれである。したがって、非吃音者と吃音者との付き合い方には決まった正解はなく、意見を交わしながら共に考えて行くことになる。その際、一方が「キツオン?」というレベルでは困るので基礎的な理解は必要だ。

吃音について理解を広げる本。図書館の活用がお勧め

 この時、私は図書館が役立つと考えている。図書館には、吃音について解説した本が収蔵されており、これらを読むことである程度の理解が可能だ。また、吃音の作家が、吃音者を主人公とする小説を書いているケースがかなりある。『吃音学院』(小島信夫)、『花石物語』(井上ひさし)、『きよしこ』(重松清)、『アサッテの人』(諏訪哲史)などがそれで、吃音者の心情や彼らから見た周囲の人々が描写されている。これらの作品を読むと、作者が私たちに向けて真剣にメッセージを発しているのを感じる。そして吃音を持つ人々の気持ちが少しは分かるような気がする。「国際吃音啓発の日」をきっかけに、図書館に足を運ばれ、吃音への理解を深めていただければと思う次第である。


 はまぐち・ひさお 1959年生まれ。県立高校、県立博物館・美術館、県立埋蔵文化財センター、県文化財課勤務を経て2020年より中城村護佐丸歴史資料図書館長。