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少数派の心理  沖縄人の視座で言論発信<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 筆者は2005年から、言論、出版活動で糊口(ここう)をしのぐようになった。論壇で17年仕事をしていることになるが、今年に入ってから自分が少数派(マイノリティー)であることを自覚する機会が多くなっている。具体的には三つの出来事が関係している。

 第一は、ウクライナ戦争だ。この戦争には複数の要素がある。ロシアによるウクライナに対する侵略戦争、ウクライナによる侵略者に対する防衛戦争(ちなみに沖縄戦も米軍に対する防衛戦争だった)、ウクライナを支援する米国中心の西側連合とロシアとの帝国主義戦争などの要素がこの戦争にはある。どの視点を重視するかによってこの戦争の見え方は変わってくる。筆者はこの戦争に巻き込まれた一般住民の視点からこの戦争を考えている。

 米国もロシアもこの戦争を価値観戦争と考えている。米国が、民主主義VS独裁、ロシアは真のキリスト教(正教)VS悪魔崇拝という二項対立で捉えている。このような価値観戦争は、原理的に相手をせん滅しない限り終わらない。戦争の長期化により殺され、苦労するのは一般民衆だ。

 77年前の沖縄戦のような状況を一刻も早く止めさせなくてはならない。だから筆者は即時停戦を主張している。現下の日本でこのような立場を取る論壇人は極めて少ない。

 第二は、信教の自由に関する問題だ。筆者は日本基督教団(日本におけるプロテスタント教会の最大教派)に属するキリスト教徒だ。沖縄出身の母もプロテスタントだったので「宗教二世」ということになる。

 19歳のときに洗礼を受けてから筆者の信仰が揺らいだことはない。旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題をめぐって日本の政界、言論界の宗教観に危惧を覚えている。

 ちなみに筆者が同志社大学神学部と大学院で学んだ頃(1979~85年)、神学部自治会は旧統一教会系の原理研究会と激しく対立し、暴力的な衝突が起きることもしばしばあった。筆者は同志社大学反原理全学大集会の議長を務めたので、旧統一教会員との関係はとても緊張していた。2002年、鈴木宗男事件の嵐が吹き荒れたとき「世界日報」に学生時代の筆者に関する批判記事を書かれたこともある。

 しかし筆者自身の経験や心情は別として、旧統一教会員の信仰内容をやゆしたり、この人たちが神聖だと考える教祖を罵倒したりするような言論には強い違和感を覚えている。

 また自民党、立憲民主党やマスメディアが国会議員や秘書に対して「統一教会関連の行事に参加したことがあるか」「統一教会系メディアの取材に応じたことがあるか」と尋ねるのも行き過ぎと思う。それは「日本共産党関連の行事に参加したことがあるか」「日本共産党系のメディアの取材に応じたことがあるか」と尋ねることがよくないのと同じだ。行動ではあっても人の思想、信条、信仰と密接に関連する事柄について、外部から告白を要求されないというのが近代的自由権の基本だからだ。

 旧統一教会に関しては、違法行為や社会通念から著しく逸脱する具体的行為を問題とし、信仰内容に立ち入るべきではないと思う。この点でも私の考えは現下論壇の少数派に属する。
 第三は、これまで述べたたこと全てに関連するが、筆者が日本系沖縄人というマイノリティー意識を持っていることだ。

 辺野古新基地建設問題に象徴されているが、沖縄は日本によって構造的に差別されている。この状況で同じ事柄でも沖縄からと日本からでは異なって見えることがある。ウクライナ戦争や旧統一教会問題に関する筆者の言論の奥深いところには、少数派である沖縄人の視座に立つという発想が埋め込まれているのだと思う。(作家、元外務省主任分析官)


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