「おじいの形見、直したい」沖縄からペルーへ…苦楽共に 県系3世が三線作りに抱く決意


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祖父の形見の三線を手にするファロ山口セサルさん=26日、那覇市の県立博物館・美術館

 ペルー出身の県系3世、ファロ山口セサルさん(34)が県費留学生として来沖し、三線作りを学んでいる。ペルーには壊れた三線がたくさんあるが、直せる人はいない。「自分が直せるようになって、三線文化をつなぎたい」と決意する。壊れた三線の中で最も直したいのは、4年前に95歳で亡くなった県系1世の祖父・山口房雄さんの形見の三線だ。

 房雄さんは那覇市首里出身。戦後、妻の父を頼ってペルーに移住した。1970年頃に帰省した際、ペルーに沖縄から三線を持ち帰ったという。セサルさんは子どもの頃、房雄さんの三線を聞くのが好きだった。よく聞いたのは「ひやみかち節」や「安里屋ユンタ」。「祖父の歌は気持ちがいっぱい入っていた」

 祖父の三線は、すでに修理が繰り返されていた。皮はペルーに生息するヘビの皮に、ティーガ(胴巻き)は英字の段ボールに変わっていた。沖縄からペルーに持ち込まれてから半世紀。祖父と苦楽を共にした三線もまた、沖縄とペルーが混じる「世界のウチナーンチュ」になっていた。

 セサルさんは26日、琉球三線楽器保存・育成会が実施する三線調査会に祖父の三線を持ち込み、鑑定を依頼した。重さや長さなど、隅々まで調べた銘苅春政会長ら目利き人は、ペルー色が混じる三線を見て、愛着の深さに感心していた。

 セサルさんは現在、那覇市の三線店「尚工房」で学ぶ。折れた棹(さお)は接着剤などで補強し、元通りに近づいている。

 セサルさんは「ペルーに帰ったら、壊れた三線をたくさん修理したい。そうすれば、三線を弾き続けられる。ペルーの日系人は三線が好きだからね」と笑った。
 (稲福政俊)