【島人の目】長寿者の義務


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 間もなく90歳になるイタリア人の義母の口癖は「私を含めて最近の老人は誰も死ななくなった」である。義母は80歳を過ぎてから子宮がんを患い全摘出をした。その後遺症で少し足が悪いが元気で1人暮らしをしている。一人娘の僕の妻は母親を引き取って一緒に住みたいが、義母にはその気はない。体が動く限り自立していたい、というのが彼女のもう一つの口癖である。

 老人の義母は老人が嫌いだ。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観である。そして義母自身は僕に言わせると、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない。それなのに彼女は、老人である自分が他の老人同様に嫌いだという。なぜならいつまでたっても死なないから。
 それは強がりを込めた義母の数少ない愚痴だが、還暦の僕は彼女の生き方に将来の自分の理想像を重ね合わせて見ている。つい最近まで仕事もしていた義母は、愚痴を言わず子どもからも独立してなおかつ家族と仲が良い。病気や老衰で動けなくなれば仕方がないが、長生きをする者は義母のように生涯を過ごすのが義務だ、とさえ僕は考えている。
 イタリアも日本同様に長寿国である。年金を含む社会保障費の膨張は止まらず少子化も深刻だ。長生きをする者のもう一つの義務は、元気な限り仕事もする、という姿勢ではないか。それは年金給付年齢の引き上げ、という政策とほぼ同じ意味でもある。
 元気に長く生きているのだから、その分仕事をして自立しなければ国の財政が破綻するのは目に見えている。老人自身と社会全体の意識改革が求められていて、それは若年のころから国民を教育しないと完成しない。義母は1人でそれを成し遂げて平然としている。
(仲宗根雅則、TVディレクター)