琉球大学病院がこのほど、同院初となる海外からの緊急患者を受け入れた。患者はインドネシア在住の県出身者で、一刻も早い診断と治療が必要な状況だった。命をつないだのは、病院の迅速な対応とインドネシア日本人会の緊密な協力だった。同院にとっては、アジアの医療拠点として緊急医療を提供する先駆けの事例となった。
患者は県出身でインドネシアに40年近く住んでいた。日本人会の立ち上げにも尽力した。今年5月から発熱、肺炎など感染症を繰り返していた。血液のがんである血液悪性腫瘍が疑われたが、インドネシアの病院では診断・治療が困難だった。
7月、琉球大学病院にインドネシアから国際電話があった。「患者が原因不明のまま全身状態が衰弱しており、患者の地元の沖縄で受け入れは可能か」という内容だった。患者の状態から一刻を争う状況だと判断し、受け入れを決めた。
同病院の国際医療支援室は緊急ビザの発行、地域連携室は空港からの緊急搬送の手配、感染対策室は新型コロナウイルスなどの感染対策を担った。県在住の姉は保険の手続きを行った。インドネシア日本人会は寄付を集め、緊急搬送用のプライベートジェットを準備した。
多くの関係者の協力を得て、空路から陸路まで全身状態が悪化することなく円滑に入院できた。琉大病院で正式に血液悪性腫瘍の診断を受け、治療を進めて現在は回復に向かっているという。
琉球大学医学研究科の仲地佐和子さんは「1週間遅ければ助からなかった。現在はかなり元気になった。受け入れて良かった」と振り返る。多くの人の「救いたい」という思いが、国境を越えて1人の命をつないだ。
(金盛文香)