戦後の沖縄を支えた「ハワイの豚」、世代を超えつなぐ縁 ハワイと沖縄の息子同士が交流


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 【うるま】1948年9月、うるま市勝連平敷屋のホワイトビーチに、550頭の豚が船で到着した。豚を送ったのは、戦争で焦土と化した故郷の復興を支援するために立ち上がったハワイの県系人たち。豚を運ぶ船に乗り込んだ「7人の勇士」の1人、上江洲易男さんの息子、ダリルさん(69)=米ハワイ州=が世界のウチナーンチュ大会に合わせて来沖。当時豚を受け取って育てた養豚農家の池宮城善松さんの息子、宏さん(62)一家と交流した。

「ハワイの豚」を縁に交流を深める上江洲ダリルさん(前列右から2人目)や家族と、池宮城宏さん(後列右から2人目)ら地元の関係者=2日、うるま市西原の池宮城さん宅

 うるま市西原にある池宮城さん宅で家族を交えて交流した2人。テーブルの上に並ぶ豚の丸焼き、てびち、豚しゃぶなどをたらふく食べた。沖縄の産業復興と食料難解消のためにハワイから豚550頭が送られてから74年。養豚業は県民の食生活を支える大きな産業に育った。

 宏さんは父の善松さんから養豚農家を引き継いだ。親子2代で農林水産大臣賞も受賞する優良農家となった。

 今回の交流は、双方とつながりのあった布哇(ハワイ)海豚顕彰会の浜端良光代表が仲介となって実現した。同会メンバーで、宏さんのまたいとこでもある野村流古典音楽保存会師範の宮城葉子さんは、自作した感謝の歌「ニフェーデービルアロハマハロ ハワイのウチナンチュ」を生演奏し、最後はカチャーシーで最高潮に。宏さんは「易男と善松もあっち(あの世)で会っているよ」と喜んだ。

 妻リンダさん(67)、息子のイヴァンさん(31)と一緒に参加したダリルさんは「父が沖縄の人に抱いていた気持ちを自分も持っている。ウチナーンチュの皆さんがハワイに来たら、同じようにもてなしたい」と喜んだ。宏さんは「OK、じゃあ、あした行きます」と笑わせ、「苦しい時代の沖縄の復興を応援してくれた人の息子だ。一生の友達だ」と友情をかみしめた。
 (島袋良太)