ウチナーンチュ大会が終わり、多くの方々が帰国した。国内外から来沖した方々は各市町村や各国県人会、国際交流関連団体、さらには出身地元で大歓迎されたに違いない。
一方で、多くの人たちからウチナーンチュ大会はともすれば沖縄県系親戚の集まりで、ウチナーンチュでもなく海外等に親戚もいない人たちにとって、大会は縁遠く、また外国語も話せないので敷居が高いとの話を聞いた。しかし、沖縄が好きならウチナーンチュとしての資格は十分で、日本語、方言、片言の英語やジェスチャーにより新たな交流は可能だ。
海を越え多くの人々が大会に参加されたが、その半面、コロナの影響や高齢その他の理由で大会参加がかなわなかった方々もいる。高齢の方々にとっては、5年後の次回開催ははるか遠くに感じられよう。
これまでに海外等でお世話になった方々の顔が次々と浮かんでくる。彼らとの再会を心から願う。
絆紡ぎ合う努力
那覇市と姉妹都市のサンビセンテ市(ブラジル)の保育士の先生方を訪ねた時に、また沖縄へ行きたいと話し、生粋のブラジル人にも拘(かか)わらず毎月の給料を貯(た)め再会を果たした。国際センターや沖縄科学技術大学院大学(OIST)、市町村の留学生や研修員等にもそういう方々もいよう。信頼に基づいた人と人の絆こそが草の根交流の基盤であり、行政の支援が強く望まれる。
ところで、絆は海を越え来るものだけではない。沖縄から世界各地へ紡いでいくものでもある。
幸い、今回から大会イベントのオンライン中継もなされた。筆者はかねてより、自国で参加される人たちが県人会館等で集まり、各地でオンライン視聴やインタビュー参加ができるようなライブビューイングが重要であると考えていた。共に踊り歌い参加しているという臨場感は必須だ。今回、各国現地の県人会や若者を中心にこのような参加形態が実現したのは実に画期的である。
また、大会終了後も沖縄に滞在する方々と県民との交流の場を設ければ、帰国前にメールやライン交換をして息の長い交流を続けることが期待できる。実際に、大会後の南米の友人たちとの再会を機にLINE等新たな連絡網を得た。絆の再構築である。
交流の輪を拡大
県交流推進課でともに仕事したNY出身の友人は、現在ロンドンの有名大学院で学ぶが毎週メールが入る。その絆を大切にしたい。ある晩ガールフレンドができたと喜ぶ電話があったが、そのお母さんがタミコさんという方で玉城デニー知事の同級生とのこと。何と世界の狭いことか。
数年前には、シンガポールからかつての県費留学生たちが家族連れで十数名来沖した。県のアジア経済戦略委員としてアドバイスした台湾の元県費留学生もいる。県に限らず、沖縄国際交流センターやOIST等沖縄に縁ある人も多かろう。ウチナーンチュ大会といえば、とかく南北の米大陸を中心とする県系人を連想するが、大会には、南北米だけでなく東南アジアやヨーロッパ各国等からも県人会、関係者など多くの方々が来ていた。また、空手等さまざまなジャンルの文化・スポーツの交流会で県系人以外の参加者も多く、県民のより積極的な交流参加を期待する。
そして、大会がウチナーンチュを越えた万人(うまんちゅ)の大会になることを切に願うものである。
(沖縄大学、沖縄国際大学特別研究員、早稲田大学大学院博士後期課程修了)