史料研究、学術交流に 沖縄と台湾の学者結ぶ 前田舟子<歴代宝案研究の先駆者たち・訳注本全15冊刊行に寄せて>下


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頼永祥(左)と久場政盛(右)。1967年の沖縄訪問にて(黄秀慧主編『坐擁書城』より)

戦前の台北帝大
 

 かつて台湾は、1895年から50年間日本の統治下にあった。台湾では早くから大学開設の必要性が叫ばれており、1922年の台湾教育令公布から6年後にようやく台北帝国大学(以下、台北帝大と略称)が設立された。9校ある帝国大学の7番目であった。

 台北帝大は、日本の最南端に位置する南進基地としての知的役割が期待されており、台湾統治のほか、日本の南進政策への寄与が責務であった。設立当初は文政学部と理農学部の2学部のみで、教員の多くは内地人(日本人)であった。初代総長の幣原坦(しではらたいら)教授と文政学部長の藤田豊八(とよはち)教授はともに東洋史学者で、史学科には国史学・東洋史学・南洋史学・西洋史学の講座があった。やがて『歴代宝案』(以下、『宝案』と略称)を収集・研究することになる福井県出身の小葉田淳(1905~2001年)は、東洋史講座の桑田六郎助教授の後任として1930年に赴任した。

 小葉田は、日本中世から近世の貨幣史・貿易史・鉱山史研究で知られる国史学者で、台湾では「日本と華南の交通貿易史」や「南シナ海の歴史」を研究していた。小葉田は1935年3月に沖縄へ渡り、沖縄県立図書館で『宝案』を閲覧し筆録している。『宝案』がいかに貴重で珍しい史料であるか、台北帝大の卒業生に手紙を送ってその感動を伝えている。沖縄から戻ると早速調査の成果を論文にまとめ、1939年に大著『中世南島通交貿易史の研究』を上梓(じょうし)している。

台湾大学図書館
 

 1945年、日本の敗戦により台北帝大が中華民国政府に接収されると、同大付属図書館は国立台湾大学図書館(以下、台大図書館と略称)に改制された。日本人教員が内地に引き揚げると、各講座室には膨大な蔵書が残された。それらは台大図書館に移管され一括整理された。

 初代館長の于景譲(江蘇人、1907~77年)は日本式の教育を受けた人物であったが、49年に館長となった蘇薌雨(台湾新竹人、1902~86年)はアメリカで図書館学を専門に学んだ人物で、彼によって図書館内部の組織編成と図書整理の改革が行われた。蘇館長のもと、図書整理部門の主任を務めた藍乾章(湖北人、1915~91年)は、これまでの「国際十進分類法」による分類方法を改め、漢書は「中国図書分類法」、洋書は「アメリカ国会図書館分類法」を採用した。それにより、日本語・中国語・英語に分けて整理できるようになった。

 1950年に閲覧部門に着任した頼永祥(台南人、1922年~)は、整理された蔵書から、閲覧に供することのできる書籍の分類を行った。当時の台湾では、魯迅を含む中国人作家や中国大陸の本は禁書扱いであった。一方、これまで貸出可能だった貴重史料は「善本書庫」に収めて貸出禁止とした。その善本の中に『宝案』が含まれていた。それは、帝大時代に小葉田助教授が沖縄の久場政盛(1876~1968年)らに委託して筆写させた、旧沖縄県立図書館の副本(久米村本の筆写)の写本であった。頼は『宝案』を整理する傍ら独自に研究を行い、1954年の「歴代宝案中之明鄭記載」、1955年の「一部中琉関係史料―『歴代宝案』」を含む計5本の論文を発表した。中でも、英語で発表した論文の効果は大きく、海外研究者らの関心を引いた。

 加えて、当時台湾大学歴史学科に在籍していた陳大端(1921~91年)の修士論文『雍乾嘉時代的中琉関係』が1956年に出版されたことで、台湾・沖縄・日本本土の研究者らによる『宝案』の貸出要請が急速に増えた。台湾大学は次第に『宝案』の編纂(へんさん)出版を模索し始めるが、15冊に及ぶ同史料の刊行は容易ではなかった。そこで、1961年に台湾の中央研究院歴史語言研究所と共同で『宝案』のマイクロフィルムを製作し、原版を台湾大学、複製版を中央研究院が保存した。そこからさらに琉球大学、アメリカ国会図書館、東京の東洋文庫に寄贈した。1970年、台湾大学はついに『宝案』の影印本の製作・刊行を決定し、清華印書館に印刷を依頼した。1972年6月、念願だった『宝案』全15冊の影印本の初版700部が刊行された。

「宝案」巡る交流
 

 頼永祥は図書館職員を経て台湾大学図書館学科教授を歴任後、1972年2月に渡米、ハーバード燕京図書館で在外研究を行った。そのため、『宝案』の刊行には立ち会えなかった。その後もアメリカに残り、95年に定年するまで燕京図書館の副館長などを勤めた。頼の功績として特筆すべきは、劉国鈞の中国図書分類法(1929年)に増訂を加えた新版を発刊したことである。今では、頼の増訂版が台湾、香港、マカオ、シンガポールなどの図書館で使用されており、2001年の第八版刊行後は、改訂出版などの代理権を台北国家図書館に授与している。

 陳大端は修士課程を修了後、アメリカのインディアナ大学博士課程に進学し、1963年に中琉交流史をテーマにした博士論文「19世紀における中国と琉球の関係」を執筆した。卒業後もアメリカに残り、生涯にわたって英語圏における中国語教育の普及活動に従事した。

 『宝案』が台湾で刊行されると、それまで個人間でしか交流のなかった台湾と沖縄の学術交流が本格化する。最初にその扉を開いたのは、1983年に台湾を訪問した島尻勝太郎沖縄大学教授(当時)率いる「琉球学術文化界交流親善訪問団」である。そこで、「中琉歴史関係学術会議」の設立構想が協議され、86年11月に台北主催の第1回会議が実現した。以来、隔年で台北・沖縄・福建を廻(まわ)って開催され、今年11月で18回目を迎える。

 1989年には、台大図書館の影印本などをもとに『宝案』を復元する編集事業が沖縄県で始動した。2022年3月に最後の1冊となる訳注本第15冊が刊行されるまで、実に34年に及ぶ大事業であった。その間、台湾と沖縄の交流も深まり、『宝案』以外の琉球史料が『台湾大学図書館蔵琉球関係史料集成』全5冊として2013年から刊行されている。

 なお、長きにわたって中琉史研究を牽引(けんいん)した台湾人研究者の曹永和、陳捷先各氏については、別の機会に稿を改めて紹介したい。


 まえだ・しゅうこ 浦添市出身。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員、沖縄大学非常勤講師などを経て、現在は沖縄大学経法商学部准教授。主な論文は「ハーバード燕京図書館蔵『琉球国中山王尚穆貢表』について」など。