琉球使節の足跡2120キロをたどる ヨットで「逆」江戸上り、3カ月かけ沖縄にゴール「先人の苦労はすごい」 


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約2千キロの航海を首里観音堂で終えた金城盛弘さん=11日、那覇市首里の首里観音堂

 沖縄県豊見城市出身で東京都在住の金城盛弘さん(61)が、琉球使節の江戸上りの足跡を関東からたどる旅に7月から挑戦し、11月にゴールした。所有するヨット「エンデバー号」で7月26日に神奈川県の浦賀港を出航。9~10月は台風を避けるため中断したため、約3カ月を上回ることとなった航海の距離は2120キロに及んだ。古典音楽の演目「上り口説」で、いでたちの地として歌われる那覇市の首里観音堂を11日に訪れ、「先人の苦労はすごい。怖かったと思う。無事に沖縄に着くことができてほっとした」と旅の感想を語った。

 「江戸上り」は薩摩侵攻後の1634年から1850年に、18回にわたって実施された。金城さんのルートは上りと逆だが、御手洗(広島県)や下関(山口県)、山川(鹿児島県)など琉球の船が停泊したとされる場所を調べ、それぞれ訪れた。各地にある琉球人の墓跡や当時の滞在場所などゆかりの場所を巡り、供え物をしながら先人の苦労をしのんだ。

琉球人望郷の碑の前で手を合わせて先人をしのぶ=10月24日、鹿児島県(金城さん提供)

 台風シーズンは避けたが、海上での急な天候悪化で前が見えないほどの雨に打たれたことも。トカラ列島付近は普段から波が荒れており、船の中は物が散乱する揺れだったという。「毎日天気との闘いだった。今は衛星電話や携帯電話があるが、昔は何もない。先人への畏敬の念を感じた」と振り返った。

 中学まで沖縄で育ち、高校生の頃に県外へ。50代から故郷を趣味の船で訪れることが夢だったという。社長まで務めたIT企業を60歳で退職し、決行した。しばらく沖縄に滞在し、来年春ごろに県内離島を船で回る予定だ。

(中村優希)