太平洋戦争時に日米両軍の地上戦が行われた南洋群島の県出身戦没者を追悼する「南洋群島慰霊と交流の旅」が12月に3年ぶりに開催される。南洋群島から沖縄に引き揚げた人でつくる「南洋群島帰還者会」としての組織的な現地慰霊祭は、会員の高齢化を理由に2019年に終了したが、その後も遺族から現地訪問の要望が相次いでいた。 (26面に関連)
遺族の声に応え、1974年から慰霊の旅に関わる国際旅行社(那覇市)が創業60周年事業としてツアーを企画。10~90代の遺族ら22人が個人として参加し、12月1日から4泊5日の日程でサイパン島やテニアン島を訪問する。
帰還者会は1968年にサイパン島で最初の慰霊祭を実施した。70年代には500人以上が参加したが、年々高齢化が進み、2019年の50回目の慰霊の旅で組織的な現地訪問を終了した。その後、個人として現地訪問を望む声が遺族から上がっていたが、新型コロナウイルスの流行も重なりかなわなかった。
6月に那覇市識名の南洋群島慰霊碑前で催された慰霊祭で、出席した国際旅行社の担当者に、遺族らから「体の動くうちは現地に行きたい」と声が寄せられた。同社企画事業部の大浜政由課長(46)は「帰還者会に50年寄り添ってきた社として恩返しをしようと、51回目の現地慰霊の旅を企画した。次世代につなぐきっかけにしたい」と、3年ぶりのツアー開催を実現した。
ツアーではサイパン島の「おきなわの塔」やテニアン島の「沖縄の塔」を訪れ追悼し、現地の人とも交流する。娘とツアーに参加する帰還者会の上運天賢盛会長(90)は「家族の魂を慰めるためには行くしかないと思っている」と力を込める。サイパン島で生まれ、1944年の地上戦時は12歳。父と兄姉が戦死。兄の遺骨は収集できたが、父と姉は行方不明だ。
叔父やいとこと3人で戦場をさまよい、2人の死を目の当たりにした。汚物の入り交じる水をすすったり、孫の首をかき切って崖に飛び込む年老いた女性を見たりした。
上運天会長にとってサイパン島は戦争の記憶を呼び起こす場所だが、足を運ばずにはいられないという。「生まれ故郷であり、肉親が亡くなった場所でもある。行くと不思議と安心するんだ。来年も再来年も、体が丈夫な間は行くつもりだ」と話した。 (赤嶺玲子)