1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
日本「復帰」した1972年12月5日の琉球新報1面トップは、1952年に皇居前広場でサンフランシスコ講和条約・日米安保条約発効に抗議するメンバーも含めたデモ隊が警官隊と衝突し騒乱罪に問われた「メーデー事件」に関して「メーデー事件の上告断念/20年目に終止符/東京高検/判決には不満/長期裁判を考慮」との見出しで、検察側が上告を断念する方針を決めたことを伝えている。
関連で「騒乱罪適用にワク/警備当局に微妙な影響か」との記事も掲載している。そのほか「慎重に検討した結果断念/二階堂長官語る」「判決は騒乱罪の本質見誤る/大沢一郎東京高検検事長の話」「検察庁の真剣な反省求める/被告団が声明」と各当事者の反応も掲載している。
2番手の左肩位置には「那覇で火事、1人死ぬ/女子中学生煙にまかれ/家人の留守中」との見出しで、火災による死亡を伝えている。
このほか、4日に沖縄国際大学の建築現場で米軍機が燃料タンクを落とした事件について「燃料タンク落下事件に抗議/公明党県本部」との見出しで、公明党県本の玉城栄一書記長がタンク落下事故やサウナ従業員殺害事件に抗議する談話を発表したことを紹介している。
衆院選に関連しては「全候補きょう宮古へ/先島攻防戦の火ブタ切る」と候補者らが先島での支持拡大に向けて行動に移すことを伝えている。
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5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。