琉球コスプレおばさんか 自己を取り戻し解放する 知念ウシ(むぬかちゃー)<女性たち発・うちなー語らな>


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知念ウシ(むぬかちゃー)

 1日付本紙によると、自民党の杉田水脈衆院議員、総務大臣政務官が民族衣装の在日コリアンやアイヌの方々を「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」とブログに書いた。自らの民族衣装を先祖への敬意も込めて着用する者として、特に日本の植民地主義により文化が否定されてきたことへの抗議と自己肯定・自己尊厳を回復するために自文化の衣装を身にまとう者として、この発言は侮辱であり差別だと感じる。

 それが植民地主義を行使してきた側、まさに日本の政治権力にある者からなされたことは「継続する植民地主義」の表れである。「おばさん」もこの場合、中年女性へのやゆでありディスリスペクトだ。私も在日コリアンやアイヌの方々に連なる者として共に抗議の声を上げたい(2日、杉田議員はこの発言を謝罪し取り消したが、差別とは認めていない。本心はどうなのだろうか)。

 「おばさん」といえば、最近、私は白髪交じりのグレイヘアである。きれいに染めるのもおしゃれですてきだが、私は白髪染めをやめた。

 私はカラジユイ(髪結い)のためにアンダ(油)をつける。すると染料が早く落ちる。それを気にしつつ、染めてつけて、落ちて染めての繰り返しで、自分が自由ではないと感じていた。他人の目を気にして「あ、白髪だ、やっつけなきゃ」と、自分の体なのに敵のように扱うのも苦しかった。

 学生の頃、東京神田神保町の書店街で見かけた白髪ボブの女性や、帰省中に出会った「白髪交じりのカンプーにするのが夢」と言う女性がカッコよかった。私もそうしたいと思った(前者は当時の大和インテリ憧れの反映かも)。でも、いざとなると勇気は出なかった。若さを尊ぶ社会、男性に魅力的(=若い)と思われたいという異性愛の価値観。この場合の「若さ」とは生殖能力の問題であり、家父長制の規範である。杉田議員の「LGBTは生産性がない」との発言にもつながる。こうした規範の束縛は強い。

 「白髪ウーマン」として生きる決心はある日ふと訪れた。何も気にせずオイルをたっぷりつけ髪を結い上げたいと心底思ったのだ。今はそれが毎日でき快い。男性中心主義の女性へのまなざしに振り回されず自分の体を取り戻した感覚だ。白髪で顔も明るく見える。世の中、懸念・不安・憂うつになることは多々ある(特に琉球諸島の軍事要塞化)。でも少なくとも髪に関しては解放感がある。

 「老けて見られるよ」と友達に言われた。でも私は若く見られたくないのだ。挫折多き人生だが、まがりなりにも半世紀余生きて来た。ワッターが体験してきた/していることは何なのか。この宇宙の地球の環太平洋の東アジアの中で、琉球人という位置から考えてみたい。私が生きてきた時間が表れている白髪は私の宝物である。 (第1~4日曜掲載)