今回の訴訟は、そもそも日本が長年、中絶の問題に真摯(しんし)に向き合ってこなかったツケを医師に押し付けてきたために起きたと言える。日本は明治時代に作った刑法に自己堕胎罪と、女性の依頼で中絶をした医師らを罰する業務上堕胎罪を置き、それを今も残すことで、中絶に関する女性の自己決定権を否定してきた。
一方で、母体保護法には「身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのある」場合という極めて抽象的な理由で中絶が許されており、実質「ざる法」と呼ばれている。しかし、今回争いになったように原則としては配偶者の同意を必要としており、結局は中絶を女性の自己決定権の範囲内とは認めていない。どこまで配偶者同意を求めるかは医師に任されている。国連女性差別撤廃委員会は、日本に自己堕胎罪と配偶者同意の要件を削除するよう勧告している。
妊娠させた男性に逃げられて同意がもらえず、中絶できないままに出産し、子を殺害するに至ってしまうケースもある。女性は殺人罪に問われ、逃げた男性はおとがめなしではあまりに理不尽だ。
夫にも権利があるという気持ちは分かる。しかし、妊娠中・出産時の命の危険、その後の人生など、負担を負うのは女性だ。だから中絶は女性の権利なのだ。
米連邦最高裁は今年、中絶を女性の権利とした50年前の判決を破棄した。これに対しバイデン大統領は強く批判したし、その後の国連や世界保健機関(WHO)の対応を見ても、産む産まないは女性の自己決定権との考えがうかがえる。日本も一刻も早く中絶は女性の権利だと示してくれることを願う。
(刑事法、ジェンダー法)