<書評>『素顔のニューカレドニア』 奄美・沖縄と歴史が重奏


社会
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『素顔のニューカレドニア』山田(武原)由美子著 高文研・1980円

 戦前刊行の『沖縄海洋発展史』はフランスにも沖縄移民が渡ったことを記している。巻頭の世界地図のハワイや南米、南洋群島等の中に目立つ「フランス」。収載の1938年末の「海外國内渡航者人員表」中の「仏蘭西」53(人)に疑問は膨らんだ。

 フランスとは「フランス領ニューカレドニア」と知ったのは沖縄県史『移民』による。一方1990年代やんばる聞き取り調査で「フランスおじい」を知ったが会えず疑問を解く機会を逃した。

 移民地フランスが南太平洋上のニューカレドニアだと詳細を知ったのは三木健の『空白の移民史』からである。ニューカレドニアには沖縄系子孫が今現在も暮らしており第2次世界大戦で途切れた移民史は沖縄系子孫を「ルーツ」が不明な境遇へ陥れ、彼らの心は「まぶい」を求めて彷徨(さまよ)っていること。やがて世界のウチナーンチュ大会にもフランス語で話す沖縄系の人々が参加、親戚との対面を果たし、まぶいは落ち着いた。そのニューカレドニアが日本の各地で絆を結んでいく様子を、生き生きと伝えてくれたのが『素顔のニューカレドニア』である。

 戦後すぐ奄美の徳之島に生まれたシマの少女が本土・鹿児島を目指す姿は、同じ頃に関東や関西等本土を目指した沖縄の同世代の青春と重なる。行動的な彼女は大学で学んだフランス語を生かし日本語教師となってニューカレドニアへ渡る。2児を育てながらフランス本国の大学で論文も審査もフランス語である博士号を取得。

 彼女は故郷徳之島との交流を持続しながらニューカレドニアの人々の間に分け入り、日本とニューカレドニアとの結び付きを強めていく。教育システムが異なるニューカレドニアで教師や親、生徒たちを巻き込み新しい教育実践を成し遂げていく。

 奄美・沖縄・ニューカレドニアの歴史が重奏しコロナ禍の今に行き着く。多民族で構成された植民地ニューカレドニアが、フランスからの独立を求めて住民投票を繰り返している現状は、日本復帰後も独立論が語られ、住民投票が繰り返された沖縄の政治状況そのものに映る。

 (大城道子・移民史研究家)


 やまだ・たけはら・ゆみこ 鹿児島県徳之島出身。ニューカレドニア・ヌメア在住。琉球新報ニューカレドニア通信員。フランス語の著書のほか、共著で「外国で日本語を教える」がある。