<書評>『伊波普猷の政治と哲学 日琉同祖論再読』 「脱構築」的読解の試み


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『伊波普猷の政治と哲学 日琉同祖論再読』崎濱紗奈著 法政大学出版局・4400円

 「沖縄学の父」伊波普猷の膨大な業績を斬新な視角から再解釈した新進気鋭の研究者の手になる学術書である。

 「あとがき」によれば、著者は沖縄に出自する者として、ここ十数年来の「沖縄問題」に触発されながらも、それらの深層にひそむ核心に迫るべく、すでに膨大な蓄積のある伊波普猷研究に取り組んできた。その再解釈に際しては、鹿野政直や冨山一郎らの先行研究だけでなく、方法論的にはフランスのデリダやランシエールらの現代思想からも多大な影響を受けている。

 著者は、伊波の「日琉同祖論」を初期と後期のそれに大別し、後者を重視している。初期のそれが『古琉球』(1911年初版)に代表され、日琉の統一・同化の肯定と沖縄の「個性」保存の両立を志向していたとすれば、後期の「政治神学」的日琉同祖論は、伊波が上京して以降の「おもろそうし」読解に基づく琉球祭祀その他の諸研究に表現されている。そして後期の諸著作に見られる「救済」願望の背景として、「資本主義」による沖縄の全般的包摂の結果としての「ソテツ地獄」の契機を重視する。

 単純化して言えば、伊波の日琉同祖論は、日本の建国以前の「天孫」種族の圧迫による「海部」種族の北九州辺から南島への遁走(とんそう)と、鎌倉以後の経済等を含む第2の文化波及があり、沖縄文化はその合体だとする「南漸」説に立っていた。

 著者はそうした伊波の思想の核心を、日琉のルーツの共通性というよりも、より根源的な〈現日本〉=〈原沖縄〉という想定、すなわち政治社会の発生以前の〈原日本〉と、同様に琉球・沖縄の本来の姿たる〈原沖縄〉との同等性の想定にあるのだとして、その論証を試みる。

 伊波は前者を神道以前の「天孫」の共同体、後者を「海部」=アマミキヨの共同体とした上で、支配・被支配の関係性が発生する以前のアマミキヨの共同体の在り方に、「ソテツ地獄」等の窮状からの救済・脱出の方途を探ろうとした。本書はかかる理解に立った伊波の体系の「脱構築」的読解の成果である。

 (波平恒男・琉球大名誉教授)


 さきはま・さな 1988年沖縄生まれ。東京大東アジア藝文書院特任助教。主な論文に「『東アジア』において理論を希求するということ―沖縄の『復帰』をめぐる考察を出発点として」。