移民の歴史を次世代へ チオ市の墓地を修繕 沖縄の松田氏が慰霊碑を設計 ニューカレドニア


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沖縄の建築士・松田幸吉氏が設計した慰霊碑=ニューカレドニア

 ニューカレドニアの東海岸にチオという小さな鉱山の町がある。首都ヌメアから山越えをして約2時間の場所にある。この町は島の歴史に重要な痕跡を残している。

 19世紀後半にチオで高濃度のニッケル鉱石が採掘されるようになった。世界有数のニッケルを産出するようになった島は鉱夫不足となり、働き者として定評のあるアジア人に目をつけた。移民政策を奨励していた日本は1892年、1回目となる600人の契約移民をこの地に送った。移民船「広島丸」が到着したのが産地であり、積出港でもあるチオだ。この時からニューカレドニアの日本人移民の歴史が始まる。

 現在でもチオの鉱山ではSLNという島屈指のニッケル会社による採掘が行われており積出港も現役だ。ニッケル鉱山のある山を背にした麓に墓地が広がる。そこには母国に帰れぬままこの地に葬られた鉱夫の墓がいくつも連なっている。さまざまな人種や宗教の墓がある中、日本風の墓石が68基もある。一つ一つの墓には氏名、出身地、没年、また墓の建立者(同郷人や友人たちの名前)などが生きた証しとして刻まれている。若くして亡くなった人が多く、異国での過酷な労働条件などが想像される。しかし時の流れとともに文字は判読が困難になり、水はけの問題で墓石が地面に埋もれ、石も欠けていく。

 このような状況を受けて、墓地を所有するチオ市が立ち上がった。島の歴史が埋もれるのを見過ごせないと音頭をとったのは、チオにある観光案内所兼鉱山博物館だ。南部州の助成を受け、一つ一つの墓の記述を明らかにし、墓地内での位置を確認し、欠けた部分はもともとの墓石を損なわないように修繕し、保存をよくする石灰で覆った。

 11月26日、日本人移民130周年記念祭はこのチオの墓地で行われた。公式参加者はフランス政府、南部州、チオ市、日本領事、SLNだ。日本にゆかりのある日本親善協会、日本人会などのメンバーも立ち会った。この地の部族にあいさつをする儀式の後、墓地でそれぞれの機関の代表者は、遠い過去にこの島の産業を支えるために母国を離れてきた日本人に感謝と尊敬の念を表明した。フランスから来た日本領事の関係者は感謝の気持ちを述べ、来年1月1日にニューカレドニアに領事館を開設することを宣言した。

 チオの墓地はその墓石の多さから日本人墓地と呼ばれることもある。実はこの墓地、沖縄と縁が深い。120周年の際に建立されたステンレスの慰霊碑にはチオで亡くなった日本人229人の名前が記載されている。墓石にも慰霊碑にも多くの県系人の名前を見ることができる。さらにこの慰霊碑の設計者は自らもニューカレドニアに親戚を持つ沖縄の建築士、松田幸吉氏だ。

 130周年記念祭のことを知った沖縄のニューカレドニア友好協会には、チオの墓地に沖縄の桜を植える計画がある。墓地で眠る邦人は、将来このように感謝され、尊敬されることになるとは想像もできなかっただろう。そしてさらに将来、故郷の桜の下で花見ができるかもしれない。
(山田由美子ニューカレドニア通信員)