逆格差論 地域の潜在力、豊かさ発見 真喜屋美樹(沖縄持続的発展研究所所長)<女性たち発・うちなー語らな>


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 早朝の名護湾で、上空にみずみずしい虹がかかる瞬間に出合うことがある。東側から世冨慶の山を超えて西の海に差し込む朝日と朝もやの水蒸気が溶け合ってできた七色の大きなアーチは、名護の海と街を輝かせる。山と海に恵まれた土地の豊かさを感じる瞬間である。

 視線を水平線に落とすと恩納村から本部町までを一望できる。恩納村から名護市にかけての岬や丘には高級リゾートホテルが立ち並び、対岸の本部町の海上には辺野古への土砂を運搬する船が十数隻停泊する様子が目に入る。沖縄経済のリーディング産業である観光と経済発展の足かせである基地問題が共存する風景だ。今の沖縄を映すような名護湾の眺めである。

 1970年8月、名護市が誕生した。復帰後の新しい制度により県内の市町村は「市町村基本構想」を策定して地域振興計画を進めることとなった。名護市も73年に「第1次名護市総合計画・基本構想」を策定した。その後、この格調高い構想は「逆格差論」と呼ばれ県内外に知れ渡る。

 「逆格差論」とは、いわゆる所得格差に異議を申し立てたもので、GDPなどの統計数値や所得格差論的発想から地域開発を考えない。地域住民の生活や文化を支えてきた美しい自然や豊かさを、都市への逆・格差としてはっきりと認識し、その潜在力によって地域を建設しようという全く新しい自律的な地域計画の発想である。

 この構想を作った渡具知裕徳元名護市長は当時、名護市は沖縄本島で最も美しい平野、山、川、海を持った地域で、構想は第1次産業と地場産業による振興を基礎とし、地域づくりの原則は住民自治であると述べている。

 構想は次のように記す。「いわゆる経済格差という単純な価値基準の延長上に展開される開発の図式から、本市が学ぶべきことはすでになにもない」「目先の派手な開発を優先させるのではなく、市民独自の創意と努力によって、将来にわたって誇りうる快適なまちづくりを成し遂げなければならない」。

 その頃の日本は、所得倍増計画をはじめとする高度経済成長政策により全国に工業化が拡散し、弊害として公害問題が生じていた。沖縄では復帰を前に、復帰で基地が撤去され基地経済から脱却すると、復帰後に経済危機が起きるのではないかという不安と、米国統治27年間に生じた本土との経済格差是正には、日本政府主導の本土と一体化した工業化が必要だという空気があった。復帰と同時に沖縄振興開発計画が始まる。

 他方、渡具知元名護市長は名護市の基本構想は、国や県、市町村という縦の流れに従っていないと語った。「逆格差論」は足元から地域の本質を見つめて作られた。